緊張ちゃんとゆるみちゃん

ツンデレ隠居系女子の日記/東京→北東北に移住4年目

もてあましている

生活リズムがこうやって崩れてきてしまうと、立て直さなきゃなと思いながら、どこをどういうところからやっていったらいいか分からなくて、ずれたままだけど、それが普通になっていくのを指をくわえて見ているところがある。


部屋のお掃除しなきゃと思いながら、だけどまだまだきれいだし、住めるし、

掃除した、って達成感を味わえるほうがきっとお掃除しがいがあるし、そのときまでもうすこし埃をためておこうか、みたいな怠惰なのか趣味なのかどっちなんだという境地になって、今日もたぶん掃除はしなさそうだ。


洗濯はためるのがきらいだから、毎朝している。

だけどこれは、子供の頃からわたしは、学校の宿題の日記や勉強や、夏休みの宿題も毎日計画的にこつこつやるタイプなんだけど、ただ単に、ためてやる苦痛に比べれば、こつこつやる方が楽という、楽なほうを選んでいるという回避的消極的な動機にすぎない。

 

昨晩も、いつになっても眠りがやってこないというか、眠りがどういうものか忘れてしまったりとかする自分に腹が立って死にたくなって、また障害者認定されたときの診断書を読んでしまった。

夜中、死にたくなると、決まってそれを読むようになった。

そこにはわたしはいかに自己中で協調性がないがために生涯にわたって就労不能で、誰とも共同生活を営めないくらい人としてモラルもなにもかもすべてが崩壊していて、

自力で清潔を保つことも公共機関に行くことも、

銀行でお金を下ろすこともできないことになっていて(下ろせるのに)、

社会に出ると人に害を及ぼす危険人物だから一生福祉の中に入っているべきだという医師の文言がことこまかに書かれているのだけど、それを読むとかえって落ち着く。

ああ、わたしなにもできないんだ。社会のクズなんだ。どうせ自己中だから誰ともかかわれないし働けないんだ、って、いまのそのみじめな状況を肯定してくれるような安定剤みたいな役割になる。

 

だけどいつまでも、安定剤はわたしに寄り添ってはくれない。

朝起きたら、激しい怒りがやってくる。今朝の脳内の叫びはこうだ。一人称の叫びから、脳内対話の暴言にまで発展している。


ああ、このままではわたしは腐る。このままでは腐ってしまう。
これは腐っている症状だ。
働かないからこんなふうになる。
制度上無理とはいえ、アルバイトでも働かせてもらうように、次の病院の診察でかけあってもらえるように話してみようか……。でないと、わたしは腐る。
<1時間でも働いたらアウトでしょう?>
こんな全国最低水準の最低賃金で、このわたしが働いてやるって言ってるのに、このわたしがそんな低いレベルの価値のところで働いて、しかもそこに住んでいて、人口がプラス1になってるだけでありがたいと思えという話なのに、アウトとかいうんだったら、普通に働いて、普通に暮らせるくらいのわたしの価値にみあった給与を出せって話じゃないの?まったく知的好奇心も満たせない、たのしい会話もできない、そもそも会話もかみ合わない、つまらない宇宙人みたいなまちの人たちと、レベルを下げて働いてやるって言ってるのに、それだけだって、とても大変なことなのに、このまま働かずにこんな暮らしを続けていたら、わたしは本当に腐ってしまう。いざ本当に働きに出なきゃいけない段がきたときには、もうわたしは腐ってしまって、もうなにもできなくなってしまっている不安がある。
<市には復職支援プログラムがあるだと?>
はぁ?そんなのとっくに知ってるわぼけ。
なんでこのわたしが全国最低水準の最低賃金のような自治体に、働くための準備をさせてくださいってお願いして、ただ働きさせられに鬱やひきこもりの人たちと混じって職業訓練なんて受けなきゃいけないわけ?ばかにしてる?なめてるよね?あんた。このポスターいますぐにやぶってやる。え?入院?じゃあ入院費はらってください。
わたしはね、今すぐにだって、働こうと思えば、そこのファミリーマートとか、ホットモットでだって、どこでも働けるわけ。そこらへんの中年ひきこもりやニートとはわけがちがうわけ。年齢イコール彼氏彼女がいないとかいう童貞とかとはわけがちがうわけ。そういうんじゃないわけ。わたしの価値を見抜けないあんたはクズ。わたしは能力がありすぎて、どこに行っても身にあまってしまうの。世の中がわたしに追いついてこないせいで、わたしはこんな思いを強いられてるわけ。あんたたちとはわけがちがうんだよ。本来だったら逆のはずなのに。
別に、ひきこもりたくて引きこもってるんじゃないの。出る用があればちゃんと起きるし、出る用がないから起きないだけだし、会いたい人がいれば会うけど、そもそもお前ら頭悪すぎて会話にならないから、わたしのほうがコミュニケーションができないって社会の悪認定してるけど、わたしから言わせればわたしとコミュニケーションできるレベルまで引き上げてから出直してこいぼけ、って感じなんだよ、って言いたいわ。あんたたちがくずなせいで、障害者になってやってるけど、本来は逆なんだよ。そういう役を引き受けてやってるんだから、アルバイトしてやるって言ってるんだから、それすらありがたいと思え

 

みたいなことを話してしまうけれど、その叫びを地の文に書き直すとようするに、いまの制度上は訓練目的でも一時間でも働いたら就労してるってことになってアウトになってしまうから、わたしは手も足もでないまま、ずっと病床に伏せっていなければいけないことになっている。だけど現実にはそうはいかない実情はある。


「訓練」と一言でいっても、人にはその人の能力や事情や適性に見合った場所がある。1円でも報酬が発生してしまったら、その1円ですべて暮らせとか、暮らせるかぼけって話で。じゃあ24時間365日病床に臥せってるってことにして、引きこもってゴミクズになってるよ、ってなるわな。


規則的な生活を送ることをよりどころにしていると、それが当たり前にできるようになったとき、社会との接点は、単に買い物をしたり、食べたいものを作ったり、掃除洗濯を楽しんだり、散歩したり、だけじゃなくて、もっと住んでいる地域との接点やつながりを求めたくなる。人はもっともっと先に進みたい生き物だ。
だけどそれは何度もやってみたけれど、どうしてもカルト教団的なインナーサークルのような内に向かう感じになって、お山の大将と、大将を持ち上げてそれにすがる人たちみたいな共依存的な関係性や、狭い地方独特のずぶずぶな関係性にとてもじゃないけど耐えられなくなって、何度となく挑戦したけれど、だめだった。その先にあるのはなれ合いや傷のなめあいで、未来がない。
それで維持されてるコミュニティであるという「底」が、いちおう大義名分的に社会的に意義があると証明されてる大きな組織とかとちがって、しょせん「ごっこ」遊びにすぎず、すぐにはがれて見えてしまう恥の美意識への無防備さもいけない。もうちょっとじらす演出があってもいいのに。

 

主体性が大事で、いかにも主体性が尊重された自由な時代になったように見えて、実際は飽和しすぎた情報の氾濫があって、

主体性を持って自分で選んだつもりになっているけれど、その「主体性」そのものがすでに誰かによって作り出されたものをマインドコントロールされてしょせん選び取らされてるだけみたいな、不気味な様相を呈している。そんなばかばかしい「主体性」なんて、捨てちまえっつーんだよ。なにかまととぶって「ごっこ」してるんだよあほちゃうか。

そんなほんとうの意味での主体性が得にくい時代だからこそ、よりカルトっぽいインナーサークルに真実や救いを求めたくなる人々の気持ちは分かるけど、分かりやすすぎて、どうせだまされて洗脳されるなら、もうちょっと底が見えない、やられた、ってわたしが悔しがれるくらいなカルト教祖と出会ってみたいものだ。

 

ともあれ、そういう自作自演マッチポンプで維持されているものに、嫌悪感を感じてしまうのは、わたしは家族と愛着をうまく結べなかったことに原因があるのかとか考えてしまって、ますます悪い方にしかいかないから、そういうふうに思わせるような場所に行くのは、建設的ではないなあと思う。


だから、なんとなくのなれ合いというあいまいさでつながったものではなくて、社会的にちゃんと目的が果たせるような、営利なり、労働者と使用者なり、教師と生徒なり、ちゃんと契約を結んで、その役割をしっかり果たしながら、それぞれが果たすことで、社会と接点を持ちたい。


そこは、福祉のようなやわらかすぎてやわらかすぎる雲すぎて分からないうえに、「工賃」とかいう「賃金」とはちがった仮想通貨の空間ではないし、復職プログラムといったところで、そもそもどこに復職するのかも、復職、とかそういうのする気はもうまったくないし、とにかくそういうのとはちがう。


だけど、わたしにとってただしい、現実の「社会」と、ひっかかりたいんだ、っていう強い思いがあるということ。これだけは確かだ。
手も足も出ない状況で、腐っていくんじゃないかともんもんとして悪い方に転がっていくのではなくて、ずっとどこでもフォーリナーのようにふるまい続けるのではなく、やっぱりそこに住むなり、そこの組織にいるからこその当事者として、もっと具体的な話をわたしはしたい。


旅人的に一歩引いて、そういう会話をしてかかわった気になっているような生活には飽き飽きしている。毎日旅人的な会話に突き戻されてしまうのはうんざりだ。わたしは、あなたにとっていい客だけじゃないんです。どうしてあなたにお金を払ってサービスを受けて、いい客としてふるまうだけの、そういう役しかやれないんですか?わたしだって、人間なんですよ。あなたの自己愛や救世主妄想だかなんだかしらないけど、そういうのを満たすために、わたしはいるわけではないんですよ。わかってますよね?もう失礼しちゃうわ。


だから、自分のできる、具体的なことを、ここでしたい。そんな気持ちがわいたけれど、手や足を出す方法が分からない。だけどもう、そうやって毎度湧いてきて、出ない手足に気づいて、エンジンを空だきさせて、もんもんとした欲求がくすぶる、みたいのは、もうほんとその繰り返しはうんざりだ。なにかがとても持て余してる。そんなかんじ。