根付く 根付かない
この寒い地も春めいてきたからか、心の変化からか分からないけれど、
きょうはおうちにお友達が増えて、にぎやかになりました。
ここ最近、サボテン愛が強くなってきて、
生まれ故郷の風を求めたくなるのか、それも分からないけれど、
伊豆のシャボテン公園とか行きたいなあとか思ったりして、
サボテンが自分の中では特にきてる。
サボテンは、なぜか本当に元気がないときに、本当に元気をもらえる。
作家・吉本ばななさんの「王国」という作品にも、サボテンがとてもたくさん登場するのだけど、
読んでいるだけで魔法のようにどんなお薬を飲んでも解決されない弱った心が、チャージされるから不思議だ。
このブログのわたしのハンドルネーム「syabotenn」は、伊豆シャボテン公園は、サボテンじゃなくてシャボテンって言うから、そこからとってる。
ちなみに今日新たに加わったお友達は、
サボテンたちのほかには、ガジュマルや、カロライナジャスミンの苗です。
カロライナジャスミンはつる性で、ちょうどいまのおうちにはベランダがフラワープランターになっているかわいいおうちなので、黄色い花が咲いて、柵にからまっていくのが楽しみだなあと思う。
ほかにも、クレマチスが前から気になっていたけれど、
それは、椎名林檎さんがクレマチスのことを「茎」という曲のなかで「咲いても喜びすぎないから……」と歌っていて、その歌詞のところがとても好きだったんだけど、
ホームセンターで実物が咲いているのを見て、
ほんとに咲いても喜ばなさそうなかんじで、そのままで、
なんかもうそれでいい気がして、カロライナジャスミンだけ買って出てきた。
ガジュマルは、沖縄では精霊が宿る樹と言われていて、
なんとなく最近、家に精霊パワーが足りないような気がして、
また、体と心が精霊を求めていた結果、こうなった。
だけど、ここしばらく、いろんなホームセンターや花屋をめぐっても、「この子」というガジュマルに出会えずに、しばらくぐずぐずとした日が続いていた。どれもこんな自分以上に生命力が感じられなくて。
だけど今日、いろんなガジュマルを回った結果、この子とだったら一緒に暮らしたいという子に出会ったから、引き取ることにした。
このおうちに引っ越してきてからも、
何度となく植物を育てては失敗した。
ちなみに昨日は、オレンジ色のリーガスベゴニアの切り戻しをしすぎた結果、丸坊主になってしまって、お別れしたばかりだし、
春を待つ花、福寿草は全滅したっけ。
ローズマリーの苗は、ここの気候に合わないせいか、弱ってしまったり、
失敗は数えたらきりがない。
そのたびに、わたしはある種の落ち込みにおちいる。
それは、やっぱりわたしは、どこにも根付けないのかなあ……
というか、どこにも根付く気がないんじゃないか……
根付く?根付かない?そんな自問自答系の独り言だ。
失敗するたびに、根を張ることの恐れが自分にはあるのではないかとか、
それよりももっと潜在的に、ほんとうは根付きたくないと心が拒否しているのではないかと思ってしまったりする。
実は昨日もホームセンターを回って、本来は、お花を買って帰る予定だった。
だけど、そう決めていたのに、どうしても食指が動かなくて、鉢を手に取って帰る気持ちにならなかった。
そのときわたしはひどく落ち込んだ。
もうここに本当はわたしはいたくないんじゃないか……
またわたしはどこかに行ってしまうんじゃないか……と
そんな奥底の気持ちには、表面的な強い意志でもって「こうしよう」って思っていること以上に、正直に現れてるのかなあ、って思ったり。
だけど今日はなぜか気を取り直して、
またなにもかもどうでもいい境地になって、
いまは、別に根付いたって、根付かなくたって、いいじゃん、って植物園のようになったおうちを見ながら思った。
これからどうなるのかなんて分からないけれど、
明日のことすら分からないけれど、
明日、もうここから去ることにたとえなったとしても、
だけどわたしはいつも、
だからといって、なにかを育むことをやめたことはなかったし、
去ることになってもならなくても、
わたしは、いまのいまという瞬間で、育むものを育んできて、
そういう心持ちでこれまで生きてきたことを思い出した。
どうせいなくなっちゃうから、どうせ引っ越してしまうかもしれないからと、
引っ越しに翻弄される人生なんてごめんだ。
全国転勤の仕事をしていたとき、わたしの母は、わたしの人生だというのに、
わたしの人生が自分の人生だと思ってた人だったから、
わたしの引っ越しの荷物を、次にすぐまた引っ越しできるように、
それはそれはシステマチックに透明な衣装ケースに、わたしの洋服なり荷物なりを詰め込んだ。
それを引き出しに入れたりばらそうとして、
少しでも根付くようなことをすると、
そんなことするのは時間とお金の無駄、どうせまた引っ越すんだから、ということをわたしに気が狂ったように言ってた。
そのたびにわたしは、なんのためにこの人は生きているんだろうと思った。
娘の人生に覆い被さったうえ、そのうえ、次にいつあるか分からない娘の転勤のために、すべての荷物を引っ越しの段ボール詰めを省略するために、透明な衣装ケースに入れる母。
わたしは、ホームセンターでプラスチックの透明な衣装ケースを目にするたびに、そんなむなしい人生のことを思い出す。
透明な衣装ケースという存在が、ちょっとしたトラウマの象徴みたくなっている。
そういう経緯があるからか、よけい、透明なプラスチック衣装ケースというメタファーに象徴される人生なんて送るまい、引っ越しになんて人生を翻弄されまいと思うようになっていったのだと思う。
同時に、根付くこと、根を張ることについて、強い恐れを持っているのだとも思う。
だけどいまは、根を張るものを取り入れようが取り入れまいが、
どんなことがこれからおころうとも、
いずれにしても出会ったものは大切に育んでいくことには変わりないし、くらいに思っている。
たとえ明日、去ることになったとしても。
ただそれだけ。
だから、新しいお友達も、これまでのお友達も、これからもよろしくお願いしますね。
お水、光をあびて、すくすく一緒に育っていきましょう。
ちょっと光が不足してるだけで、ひょろ長く色が薄く、弱々しくなってしまう彼らの姿を見て、
人間も、光をあびることってほんとうに必要なんだなと、
植物初心者は、そんな初歩的なことから学ばせてもらったりしています。
NHKの「趣味の園芸」もまじめに見始めたし、少しずつ、勉強したいし、植物と一緒に成長していきたいのです。
これからは、気が向いたらもしかしたら植物レポートとかもするかもしれないです。
ちなみに、今年の目標は、人間ドックを受けること(すでに達成)と、春になったらおうちのフラワープランターを花いっぱいにすることと、歯の定期検診に行くことです。少しずつだけど、着々とすすんでいるよ。