緊張ちゃんとゆるみちゃん

ツンデレ隠居系女子の日記/東京→北東北に移住4年目

「好き」ってなんだろう

子供のころから、家族と一緒にいても一人な感覚を味わってきた。


たとえば、祖母(母は料理ができなかった)の作る料理を横でお手伝いしようとしても、祖母はまるで初めから一人でいるかのように最初から最後まですべて自己完結させて作りあげてしまうのが、とても奇妙で不思議だった。


ここにわたしがいるのに、と何度も思った。


だけど祖母は、まるでそこにわたしがいてもいないかのように、ただ一人の世界に入って、わたしがいてもいなくてもはじめからなんら関係がないかのように、一人で淡々と黙々と、亡霊か人間の姿ををしたロボットのように料理を作るのみだった。


子供だから当然子供らしく「わたしもお手伝いする!」「やらせてぇ〜」と言ってみるわけだけど、祖母は相手が幼児だからといって、「お手伝いなんてえらいねえ。じゃあ教えてあげましょう。まずお肉をこねてね、こうでね、ああでね」なんていうような手加減や配慮はしない。


「やらせて」といえばやらせてくれるが、子供だからうまく包丁を持ったり、肉やだんごをこねたりは最初から器用にできるはずがない。

だけど、祖母は、「やらせて」という孫に対して、30秒くらい「やらせてあげた」ということでもって、やらせたと思っていたようだった。そしてまた一人で黙々と亡霊のように、何事もなかったかのように料理の続きをおこなう。


だけどわたしは、なにもやったという達成感はおろか、それではやったことにも手伝ったことにもなってないと、不満やイライラがたまって、いつもかんしゃくをおこした。そのたびに、かんしゃく持ちで短気なかわいくない子供だと誤ったレッテルでもって憎まれた。
だけど、そんなことばかりが続いて、いつしかわたしはその怒りを自分の中に押し込めるような子供から大人に成長していった。

 

祖母は料理の専門学校で講師をしていたこともあって、料理はとてもうまかった。だからといって、料理そのものを好きで愛していたのかはわたしには伝わらなかったけれど、本人の気持ちはどうだったのだろう。
大正生まれの女性だということもあって、毎日当たり前のように手の込んだ料理を、脳梗塞で寝たきりの祖父、母、わたしという家族に提供した(時代がちがうので、わたしの口に合わないものもあったが、どれも手が込んでいて、とびきりおいしいものも多かった)。


だけど祖母は、それでも横にくっついて離れないわたしに、料理をしながらよくこんなようなことを独り言のように言って聞かせた。「おばあちゃまは、いつも料理を作っているからその間におなかがいっぱいになってしまう。Tちゃん(わたしの名)がずっとつまみぐいをしているようなものよ。だから食事なんておいしくもなんともない」みたいなかんじ。


子供だったわたしは、子供ながらに、それを毎回、いやーな感じにかんじた。いやみったらしなあと思った。ようするに、わたしはあなたがたのために毎日料理を作っているけれど、好きだというよりか、義務だから作っているだけで、あなたがたのために作ることで、わたしは食事なんておいしくないし、犠牲を払ってるのよ……みたいに受け取った。

 

これは祖母と暮らしたエピソードの一部分にすぎないけれど、こんなふうにすべてにおいてわたしは祖母と心を通わせることができなかった。その祖母から生まれたもっと濃い母となれば、わたしと母はもう水と油くらいひどいレベルだった。


それでもたまに、わたしもたまりにたまって、祖母に激しい言葉をぶつけたことがある。だけど、それはのれんに腕押しだった。

「Tちゃん(わたしの名)、おばあちゃまといくつ年が離れてると思ってるの?」。

それがいつも、わたしがなにか祖母に意見したときに返される決まり文句だった。

普段も押し黙っている祖母は、やっと口を開いたかと思えば、それしか言わないのだ。というかそれしか言えなかったのか、よく分からないけれど。まったくコミュニケーションにもなってなければ、返しにもなってない。


わたしは、祖母との感じ方に世代間格差があることを指摘したかったわけではなかった。

むしろ、いつもこう、子供では言葉にはうまく表せなかったけれど、祖母と一緒にいてもいつも自分しか見えていないような、一緒にいるのに、時間を重ねてもなにも愛着もコミュニケーションも深まっていかない不自然な感じとかに、つねにいらいらさせられてて、それはなんなのか分からなくて、あらゆる言葉でぶつけたかったんだと思う。


だけど、それもすべて「Tちゃん、おばあちゃまといくつ年が離れてると思っているの」という勘違いも甚だしい、けんかをうってくるような言葉を繰り返し言われると、子供ながらも、なぜかは言葉には表せないながらも、ああ、こりゃだめだ、という諦めの境地になってくるのだった。

わたしは地域おこし協力隊として2年間、北東北の山間部で移住生活を送った経験があるけれど、祖母のような大正時代の女性ではなくて、昭和生まれの40代や50代とかの女性だけど、祖母と似たようないやみったらしいことを言う女性が多いなあというのを感じた。


ある集落の女性の家の田植えを手伝ったお礼に、近くでとれたてのウドをもらったときのことだ。

わたしは「ありがとうございます。ウド好です。こんなに家で(というか山で)たくさんとれるなんてうらやましいですね」なんていって喜んだのだけど、

それにたいして女性は「ウドなんて大っ嫌い。こんなののどこがおいしいの?だけど、わたしは(気楽なあなたとちがって、とまでは言っていないが……)家族に毎日3食食事を作って食べさせなければいけないし、好きでも嫌いでも、採ったらそれを煮るなりして作って生きていかなければならない。食べるだけの家族はいいけれど、作るほうはもうそれだけでおなかいっぱい、ってかんじになる」と、くたびれたかんじでウドへの恨みから、閉ざされたムラに嫁いだ鬱屈へと発展させて話し始めた。


21世紀になったいまも、男尊女卑をわかりつつ、憎みつつ、だけど受け入れてやってくしかないくたびれた気持ちをいまだにこの町に住む女性は持っているここは文化なんだなあということは分かった。

 

ちなみにそんなこと言われてもらったり、怨恨が込められたウドがおいしいわけなかった。


それはそれとして、やっぱりわたしは、祖母との暮らしで感じたことではないけれど、会話がすれちがうかんじのさみしさだったり、一緒にいても、たとえ田植えを手伝ったり、ともになにかをやったとしても、決定的に交われないようななにかを感じたときの、幼少期からかかえてきたあの懐かしいようななんともいいがたい空虚感でいっぱいになって体がだるく重くなったのを感じた。

それと似たかんじの気持ちになるのは、「好きでやってるだけだから」という人の台詞を聞いたときだ。しかも聞いてもいないのに、そうやって予防線はってアピールしてくるたぐいの人。


よくボランティアだとか、善意の押しつけをめぐる話になるとき、「自分が好きでやっている分には、自覚しているだけたちが悪くない」という話になって、むしろ自覚なき善意のほうがエゴだと言われがちだ。

だけどわたしにとっては、善意と信じ込んでいる人のほうがまだ素直で、「好きでやってる」と言ってる人のほうが傲慢さがあるように思う。


なぜそう感じるのか考えてみたところ、わたしの家系は、アスペルガー自閉症の傾向が強い家系で、わたし自身も当事者でありながら家族として、「一緒にいても一人」という感覚を、いやというほど感じてきたからだと思った。

 

自分が好きでやっていることだから、だれにも迷惑をかけているわけではないと、その手の人はそういう理屈を語りたがる。赤の他人なら、ああそうですか、どうぞご勝手にとなる。だけど、好きでやってるだけだからという人間と身近にかかわる人間が感じる、疎外感だったり、無視されてる感じだったり、締め出されて排除されてる感じだったり、それを横で常に見させられているものの恒常的なストレスや疲弊感や傷つきや無力感がどれほどのものか、その手の人はまったく思いをはせることができない。

 

個人的には、好きでやるのなら、その、関係ない人の見えないところでやってほしいし、巻き込まないでほしいし、家族なんて作らずに、一人で生きればいいじゃんと思う。で、その好きなときに、都合のいい人と、好きなことすればいいじゃん、って思う。だけど人とつながりたいし、一人じゃ寂しいし、パートナーはほしいし、家族にも恵まれたい、でも自分はアスペ自閉症傾向があるから、そういった特性なんですわかってくださいという人に、わたしは一切同情しない。


さいきんは、アスペルガー傾向のある夫を持ったゆえに心身ともに疲弊した妻のことを「カサンドラ妻」と言うようになったり、そういう自閉傾向のある身内をかかえるカサンドラ症候群というのもポピュラーにはなってきている。
カサンドラについて知ったのはここ最近だけど、たぶん生まれながらにわたしはすでにカサンドラにかかってたのかなあと思ったりもする。

 

わたしも、なにかに熱中するときはほんと食事も寝るのもすべて忘れて超集中したり、楽しいときには本当に楽しいくらい夢中になるのだけど、
そんなとき、周囲の人はわたしに「きみの熱中しているときの顔はすてきだ」とか「きみって楽しんでるときの顔がほんとにすてきだね」などと言うのだけど、分かってないなあ、とさみしくなってしまう。


わたしが本当に、熱中しているとき、または、フリではなく、本当に楽しんでいるとき、そこにあなたもいなくなってしまうから。

 

わたしは自分の世界に入ってしまった申し訳なさと、それでも楽しんだり熱中したりすると、あなたすらもいなくなってしまう自分をどう受け止めていいか分からなくて混乱する。わたしだって、自分だけの世界に入ってしまって、さみしいのだよ。この気持ち分かって。でも、あなたには分からないんだよね……。


わたしは、そういうふうなある意味"放置”や“無視”を家族にされて、置き去りにされたときのさみしさをいやなほど知っている。自分も、そういう世界に入っているときに、自分以外をすべて閉め出してしまう、“あの世界”の恐ろしさと嫌悪感を知っている。


だから、そんな台詞をわたしに吐く人は、お気楽な立場なんだと思う。その相手が日々寄り添う人だったら、って考えなくてもすむような。

 

それが家族だったら、きっとそいつも耐えきれないだろうよ、と。一緒にいても一人のような孤独をおまえも感じるだろうよ、と。

 

たまに会うから、そいつはそんなお気楽なことを言えるんだろうよ。わたしの編集された完成品のいいとこだけ見て、そんな君の姿がすてきだなんて寝ぼけたことを言う。


だけどそれがわたしはどれだけ苦しいか。いまも苦しくて、これまでもずっと苦しかったか。


そんな苦しみも分からずに、わたしに赤い靴を履いて踊り続けろと、お前は強要するんだ。

 

いっそ切り落としてしまいたいくらいの苦しさも分からずに、踊り続けなければいけないわたしの日常を知らないから、言えるんだ。

 

ずっとあなたはそばにいないから、暮らしてないから、無責任だから、そんなことが言えるのだ、と。


あんな家族のようには自分はなるまいと思って、わたしは周囲にそれでも気を遣って努力してきた。だけどいまも、楽しかったり熱中してしまうと、周りが見えなくなる、その傾向は変わらないのは、そういう家系や血をひいてきたからなのかなと思うとぞっとする。

変わらないことは分かった。

 

だけど、わたしはそれでも周りの人たちと分かち合うことをあきらめない。

世界を閉ざして見下して、自分たちの世界で閉じ込めてしまった家族が、それからどうなったか残酷なくらい見てきたから。自分はそうなるわけにはいかないのだ。


だけど人は気やすく、「好きなことを仕事にするのはすばらしい」だとか、「好き」だったらなんでも善のようにとらえる。

慈善活動でもなんでも、「自分で好きでやってるだけだから」と「好き」のせいにしておけば、「だから文句言うな」とまるで事前に聞いてもないのにケンカを売ってるような暴力性すらわたしは感じる。


本人にとっての「好き」という善も、無関係な人にとっては善だね、ですむようなことも、身近な人を傷つける暴力性をはらんでることは、わたしは子供のころから痛いほど感じてきた。


「好き」は周りを見えなくさせる。自分の世界だけになってしまう。そんな人同士が集まったらとても恐い世界だと思う。


豊かな人生を築くために「好きなことを見つけましょう」とか「好きなことに熱中しましょう」とかいうことが、最近ことさら言われがちだけど、

いろんな人にとっての「好き」を聞くにつけ、自分にとっての「好き」ってなんなんだろうなとよく考える。


わたしにとっての好きはたくさんあるけど、だけどやっぱりそれは、自分以外の社会(ごくごく少数の誰かはのぞく)につながっていく気はしない。ましてやそれが仕事やお金につながっていくとは思えない。


好きはエゴだって、子供のころに思ってしまったから、わたしは他人の「好き」にも一切タッチしなくなったというのも大きいと思う。それは、自分がアスペだからなのかと悩んだこともあったけど、つきとめるのは無意味だ。


いずれにしても、人とつながるとしたら、苦手なことだったり嫌いなことだったり、そういうことならば常に周りも見えているし、社会との関係も、「好き」なことよりははるかに見えているから、そっちのほうでつながるほうが、よっぽど人の本質に触れられるとは思っている。
ネガティブな傷のなめあいのつながりということではなく。「好き」よりも暴力的でなく安全に人とかかわれる気もする。

 

自分のなかに「好き」はたくさんあるのはたしかだ。だけどこれからも、自分のなかからとっておきの「好き」を取り出して、それを誰かに手渡すのは、わたしの場合、ごくごく限られた人になると思う。

 

だから好きはわたしにとっていつまでも特別な気持ちで、特別なことなんだと思う。