緊張ちゃんとゆるみちゃん

ツンデレ隠居系女子の日記/東京→北東北に移住4年目

げんじつ、へらへら

最後から2番目くらいに祖母に会ったとき、祖母は病院の個室にいて、お見舞いにかけつけたわたしに「おばあちゃま、がんばるから」とわたしに気丈に言った。
気位の高い、プライドが高い、みえっぱりで、善人ぶることを疑わない祖母らしい言葉だった。
だけど、「らしい」なんてわたしは肯定しながらも、意外と単純な人だというのに、わたしにとってそれがとても人間として不気味な、わからない、得体のしれない、祖母だった。

そのときわたしのなかでは、彼女の「らしさ」として、一人の人間としてすべてをまるごと肯定しようという気持ちと、気持ち悪さとがせめぎ合っていて、最後は、と言ってしまったら人の命の長さをあらかじめを決めつけているようで、それは最後までいまでも言えなくて(正確には分からなくて)、

だけど最後がよければなんでもよくなってしまうような、鶏卵よりやや大きいガチョウの卵をなんの説明もなく丸呑みさせられてしまうような気持ち悪さや危機感があって、そんなことは自分にはできないと思ったのを覚えている。


その場所には、横に母がいたけれど、

母と祖母という、1組の母娘がいて、

そして孫のわたしが加われば、女3代で1セットにもなるわけだけど、

3人そろえばもうそういうことだからという空気が気持ち悪くて気持ち悪くて、

そういうの、ずっと、あなた(祖母)もあなた(母)も大嫌いだったんじゃないの?それをわたしにずっと大嫌いなこととして押しつけて、言い聞かせてきて、

あなたとあなたはいつもけんかしてわたしをひとり孤独に恐怖におとしいれていたのに、

それは、あなた(母)があなた(祖母)を憎んでるから、そういうことになっていたからわたしはしょうがない何も言えないとずっとがまんしてきたのに、

最後(?)だからって……

みたいな思いにたぶんわたしはそんなふうになっていて、

当時はそこまで言葉にできなかったけど、

それはそういうことだったんだといま初めて言葉に出してみて、

わたしは涙を流した。

こういうたぐいの涙は、ほんとうは子供のころたくさん流しておけばよかった。

 

だけどあのとき、「おばあちゃま、がんばるから」という90数歳にして健気で気丈な祖母の言葉を聞いて、

わたしは反射的に、「もうがんばらなくていいよ」って心の中でそうつぶやいてた。

だけど、そんな言葉、相手に投げかけられるわけがないから、うそにうそを塗り重ねることしかできなかった。最後の最後まで、わたしはずっと嘘の姿でしかいられなかった。普段は嘘ばっかでへらへらしてるというのに。嘘で嘘を返されても平気なわたしのはずなのに。なんでこんなに苦しいんだろう、ってこの特別な思いの成分や正体について、いまも分からない。それを「特別」と言っていいのかどうかについても、まだ答えがだせないでいる。


そんな無情な自分を責めながら、

それからじわじわ強まって爆発する怒りにわたしは、わけがわからないまま、止まったままの、空虚な時間をもてあましてこれまで年を重ねてきた。

その怒りを紐解くとこうだ。あのときの祖母にたいして湧いたわたしの気持ちを言葉にしてみようと思う。


別にがんばってくれなくていいよ、
それがわたしのためだったら、もっと迷惑だからがんばるのは、わたしが苦しくなるから、迷惑だからやめてほしい、
もうわたしのためにがんばるのだったら、がんばってくれなくてもいい、
わたしはそれでずっと苦しい思いをしていたから
あなたががんばるということは、わたしが苦しむということだから、おたがいもう頑張るのはやめて、そこを解放して、ご破算にしてちゃらになるくらいじゃないと、自己破産と同じでもうわたしは少なくとも、自己破産しなきゃいけないくらいに耐えられないところまできていた、
だけど、あなたや、あなたは、そんなわたしがそうなってることに気づかずに、まだわたしにがんばらせるつもりなの?そうなんだよね?だから相変わらず、がんばるなんていってくるんだよね?そうだよね、そうやってわたしをがんばらせることで苦しめてきたものね。
しかも2人まとめて、自分でがんばることを放棄して、いつもわたしに期待をすることで、自分ががんばったつもりになって自己陶酔しながら、そのときだけは仲良くなって、気持ち悪い仲良し母娘でタッグを組んできて攻撃してきたけど、それは戦い方としても卑怯だし、ずるいね。そういうとこだけで結びついて、大の大人がみっともない。

わたしにだけ戦場に行かせて何度も特攻隊させてるだけで、現場で突撃する人の痛みもわからなくて、戦い方にもダメ出ししてきたよね。ましてや戦う相手のケチまでつけて楽しんでたよね。

 

これまでわたしは、あれからもたくさん泣いた。だけどその涙は、なんで分かってくれないのか、とか、うまく言葉にできなくてくやしいという、自己憐憫の涙だった。わたしはそれで、涙を流したことにして、これだけたくさん泣いたんだからもうくよくよしてもと思っていたけど、

だけど自分で、自分が自分に向き合って、真摯に涙を流してみたことって、あるだろうかと思った。そんな真面目な涙を自ら奪って、忘れたふりをしようとしてはいなかったか。

 

もう、なにが発端でなににわたしはこんなふうに空っぽで、解離しているのかとかよくわからない。

空っぽで解離してるんだから、自分じゃどうも切り開けない状態で時間だけしか解決しない問題なのだから、状況が変わるのを待っていたら、もしかしたら自分のほうが先に死んでしまうかもしれない、明日のことも分からない、

ならば、どうせなら暇つぶしも楽しく、スリリングでありたい……

と思っていたら、暇つぶしも暇つぶしで手間暇かけてしまったり、

暇つぶしのつもりで初めてみたものが、暇つぶしにならなくならなくなるくらい複雑化してきてしまったり、命をすり減らしてしまったり、

むしろ暇をつぶすことがとても楽しく、気づけば暇つぶしのプロみたいになってしまったりもして、
たくさんの暇つぶしという嘘で嘘を塗り重ねてしまった結果、

ほんとうはなにに蓋をしていたのかも、どれが嘘かまことかが分からなくなってしまった。

 

いまさら、もう、これが暇つぶしで、これが真面目でとか、過ぎてしまえばもうどちらでもよくなってしまったし、

あなたは暇つぶしの相手でしたなんて相手に言ったら失礼きわまりないだろうし、

暇つぶしだって、わたしはいつもまじめだったから、にもかかわらず相手に手抜きで暇つぶしされたとしたら、その不誠実さにはこっちが許さない。


分からなくなってみて、最近のわたしは、分からないのに慣れてしまったのか、分からないということをごまかすために、

へらへらとして、わざとそらして、真正面から誰かがまともにぶつかってくることを、とても恐れている。

 

真正面から相手にぶつかり、ぶつかられることが「現実」だというのに、その「現実」がこわい。

「現実」に人が当たり前に持つ気持ちをまるごとぶつけられることが、生々しすぎて、耐えられない。


いま、もう少しで「現実」が見えそうで、「現実」に手が届きそうでいて、届かないのか、届かなくしているひっかかりが、わたしにはあるようだ。
普段接している人のほうが、よっぽど極悪人や憎くて顔も合わせたくない人はごまんごいるというのに、それでもその人とはわたしはちゃんと会えてるというのに、そっちのほうがよっぽど大変なことのはずなのに、家族が受け入れられないって、いったいどういうことなのだろう。

ひどく謎だ。

だけどそれは、自分以外に、その人にとっての家族は、代わりがいないからなのだろう。代役が立てられない。自分役は自分役しかいない。

家族にとっての家族役も、替えがきかない。だから、そんなに責任重大な役をわたしは背負わされて、荷が重すぎるのかなあ。

替えがきく仕事のほうが、かえって頑張れたり、あまり期待されてない仕事のほうが、力を発揮できるとか、そういうことなのかなあ?

いつもわたしはそうやって、人からの直接的を回避して、間接的に、だけど、間接的なくせに間接的ではありえないほど密接に最大限以上に誰よりも愛をほしがった。そんなやつだった。


これは、愛着を感じられる脳機能がおかされた病なのか、それともそういうふうになれば、こういうふうな人になるのは人として当然の反応なのか、どちらなのか分からなくて、わたしはまだまだ、あきらめがつかない。どうすれば、人の気持ちが分かるように、または、思い出せるようになるのか、まだもがいてる。
家族との時間は、そのへんで止まってしまっている。
先生あのね、わたしにはね、止まった時間がいくつかあってね、それはね……って話せたらどんなに楽だろう。時間の管理人がやってきて、じゃあ、君の止まった時間を進めてあげようって、ちょっと槍でずらしてくれたら、って思ったり、それは、自分が救世主になりたいときだけやってくる気まぐれな救世主じゃなくて、そんな人よりもずっと信じられるよ。そらして、そらして、そらしまくって。