緊張ちゃんとゆるみちゃん

ツンデレ隠居系女子の日記/東京→北東北に移住4年目

ほしがり

イオンモールのスタバにいる。アーユルヴェーダを受けに近くまでやってきたので、今日はちょっと足をのばして、「たぶん買わないだろうショッピング」と散歩をしにイオンモールにやってきた。

お花屋さんでお花をひとつひとつじっくりと見ていた。お花は季節ごとに変わるのもさることながら、色というものが絶妙にかわいい。色を見ていると、きれいだなあと思って和む。植物にしか出せない色の具合とか。

色、ということにおいては、春物のお洋服も、お花っぽい色をしているものには、ついつい目が止まってしまう。

ほんとうは、先日断捨離に断捨離を重ねてかなりクローゼットがすかすかになって、黒っぽい冬物コートがなくなってしまったので、よさげなコートと出会えればという期待もかすかにしていたけど、やっぱりいまはマイナス5度で真冬とはいえ、冬物はもうどこを探してもないよね。

だからか、スタバに座っていても、すれちがう人を見ても、いまはとくに黒っぽいコートを着ている人が、みなすてきなコートを着ているように思えてちらちら見てしまう。

めがねがほしいときはめがねが歩いているように見えて、雪靴がほしいときは雪靴ばかりが歩いているように見えたし、リュックがほしいときはリュックばかりを見て歩いてしまったけど、いまはおしゃれなコートを着ている人を目で追いかけてしまう。決してイケメンだから見ているわけではなくて、わたしはあなたのそのコートを目で追いかけているのです。

そういうのを、「ほしがり」という。ほしがりといえば、今日のアーユルヴェーダのお姉さんは、いつもよりもほしがりな感じだったなあ。

サボテンっていいですよね、って話になったから、

そういえば、先日東京に行ったら、インテリアに映えるようなめっちゃおしゃれなサボテンがたくさんあって、びっくりしたー

へー

だけどぉー、東京のサボテンは完成形のインテリアとしてのおゃれさはぐうの音が出ないけど、それを育てる時間やプロセスの豊かさは、ここでしか味わえないものってありますよね

うんうん

みたいなたわいのない会話をしてたけど、ここは田舎だからあれもないこれもないみたいな話になっていき、よくある展開なんだけど、どうせここは東京とちがって田舎だし、あなたもしょせん東京の人なのねみたいなブロックがかけられちゃった感じがして、わたしもそれ以上なにも言えなくなって、静かに会話をフェードアウトして、お互いもやもや、っとしたものを残しちゃったように思う。

そんなときわたしは悲しい。別にわたしはどこの人かもいまさらよくわからないけれど、勝手にそっち側の人って決められてしまって、やっぱりあなたは遠い人、ちがう世界の人だったのね、って勝手に納得されて、さーっと波が引くように引いていかれる瞬間を地方に転勤とかではなく、ほんとに暮らすようになって、何度となく味わった。

そうやって別世界の人、だとか、よそから来た人、この人は地元じゃない人だから、って決めてしまえば、東京にパイプがある人間を妬まなくてもすむ。向こう側の事情はわたしの知ったこっちゃない。

だけど、そうやってよそもの認定されるときの、さーっと引く感じは、一度そうされちゃうと、こっちもこたえるから、これからはよそものなりの振る舞いをしなきゃいけないのかなあとか思ってしまう。

地方都市でのたたずまいのあるある。うわーこのかんじ。また突き戻されて、体が鉛のように重い。

けっきょくみんな宇宙人だくらいに思ってるのが、やっぱりいちばん楽になる。油断して近づくと、区別される。離れたら離れたで、お花しかお話する人がいなくなる。

自分もいまここにいて、その人もいまここにいると分かっていながら、それだけでもう十分なはずなのに、相手が持っているそこにないものをほしがって……。なんて人はほしがりなんだろうと思う。

お洋服も、いまここで着られるものを売ってくれればいいのに、雪が溶ける2か月後の春のことを考えて買うって、けっこうむつかしいことだと思うけどな?

だけど世の中はほしがりを基準に回っている。ほんとは誰でもいまのことしか考えたくないはずなのに。