緊張ちゃんとゆるみちゃん

ツンデレ隠居系女子の日記/東京→北東北に移住4年目

「記者」と「当事者」の間

今日から3月かー。2月、なんとなく長かったな。しんどかったな。

 

ここ最近もあいかわらず、好きな詩や連続ドラマとか本を読んでる。
ドラマとか見てるっていうと、頭悪いミーハーと思われるかもしれないけど、わたしはミーハー的興味というよりかは、人の気持ちを知ることにとても興味がある。


机に向かって、専門の本を読んだり、大学院とかに入り直してなにかの学問を研究するとかそういうことは、想像するだけでも疲れてしまうけれど、
いろいろなやり方をやってみて、そのなかでも自分の得意なやり方を見つけていって、好きなことを極めるのが、性にあっているようだ。

一見、勉強していないように見えて、それがどんな問題集やどんな有名大学の有名教授のすばらしい講義を受けるよりも、自分にとって効果的だ。

 

あと、物語を映像で見るいいところは、人の気持ちや表情もそうだし、自分の知らない世界に住んでる人が、純粋にどんな場所でどんな組織で働いていたり、どんな人間関係が繰り広げられているのかというのを、映像を通すことでイマジネーションをかきたてられるのも好きだし、
その組織や人間関係にいると、人はどんな気持ちになったり悩みが出てくるのかとか、わかるととてもおもしろい。

 

以前わたしは、映画監督や脚本家や小説家とか、もの書きというものを目指してたけど、いまでは、それはたんに肩書きの問題であって、自分のやりたいこととか興味とかとはかみ合わない話であって、

肩書きの話ではない、もっと自分の特性に合わせたやり方や学び方を考えなきゃなあと思うようにいまはなった。いまはそんなところ。


実際、なんらかのテーマを取材して記事にしたり、自らレポートしてブラウン管を通して発信するという仕事や、編集にもこれまで10数年たずさわっていたけれど、

そういう「記者」とか「編集者」とかいうものも、肩書きの問題であって、

わたしにとって、それそのものがやれたからうれしいというのとはちがって……。だけど、記者という仕事について誇りや使命感を思っている人に、そんな悩みを話すのもはばかられるし、実際話がかみ合わなかった。

それじゃない、もっとちがうなにかを自分は求めているんだけど、それはなんなのかな、とずっと思ってきた。

 

昔からなにもかも、人から教えられるものがよく理解できなくて、教科書も読めなくて、というか入ってこなくて、

だけど、自分なりに編み出したインプット方法を見いだすと、とたんにそれが吸収できるようになって、

だけど、その変換作業を行なうのにものすごくエネルギーと時間を要した。

これまでわたしはなにかを誰かに直接教わったという記憶はあまりなくて、独学でインプットしてきたかんじだった。

 

そんなこんなもあって、わたしは人と同じペースでなにかをやるとかいうことを、子供のうちから完全に諦めてしまっていて、そんなこんななこともあったので、

家庭を持つようになったら、それに合わせて仕事はまた考えればいいや、だから適当でいいや、なんて思うようにもなってしまったけど、

たぶんそれじゃ後悔するのではないかと、数々の連ドラを見ながら思うようになった。そして、絶対に退屈してしまう。そういうライフスタイルの変化があってもなくても、ワークについては、しっかり考えていきたいなあと思った。

 

いま考えているのは、植物にたずさわるなんらかの仕事をしながら、または、児童福祉系の現場で働きながら、そこで見える世界、感じるもの、悩むものは、いやでも出てくるから、それそのものを味わいながら、また生きていきたいなあと思っている。

 

こんなふうにキャリアアップしていきたいとか、○○家を目指したい、○○のプロになりたい、だからそれを目指すというよりか、結果的にそれを専門で極めたにしても、その道のりを味わいたいなあと思う。

わたしには、その味わいの楽しみが不可欠で、

これまでの経験上、どんなにお金をたくさんもらって待遇に恵まれていても、社会的地位があっても、

また、それとは一転、まったく地位や肩書きお金にとらわれない仕事をしてみても、

プロセスの味わいの楽しみがなかったり、

生活するためだけのお金に精一杯になってしまったりしたとき、

死んでるも同然なつらさは耐えられないことだった。

ああもうこんなんじゃ死んでるほうがましだと思って、毎日死にたくなった。人から見てどうとかではほんとになくて。

そういう経験を通して見えてきた自分の適性を、反省も踏まえてこれからよりよいものに生かしていきたいと思う。

 

わたしは常に「現場」に身を置いていたいのだと思う。


いまは働くことができなくて、手も足も出ない状況で、こうして頭でしか考えられないけれど、
これがほんとうに内向的な人だったら、頭の中の空想をフルに働かせられて、創作にはもってこいな機会だと思うけど、わたしにはそれだけでもつらいということもわかった。


隠居してたら里が恋しくなるくらいにわたしは普通の人だったことが分かったし、

頭の中だけの空想だけにたよって生きるのはバランス感覚が失われて心もとないことも分かった。

 

いまの隠居ステージは、そういうステージに一生に一度は身を置いてみたいという興味だし、

常に現場に身を置いていたいという点においても、隠居という「現場」に身を置いているということに充実感を感じているのであって、

隠居という立場になってみないと感じられない世の中の見え方や、さみしさというものを知りたいという気持ちが強くて、

ただ、それを一生味わいたいかといえば、もっといろんなステージを年齢に応じてじゃんじゃん楽しみたいなあと思う。

 

ということで、そろそろ次のステージに向けても、考え始めた今日このごろ。

いまはほんとうに「ひとり」だから、次は、人や社会とまたかかわっていこうという気持ちになっている。

 

だけど、あんまり自分の思うにまかせて書くものは、人に向けてというものではない。世の中の「書き手」がそうであるように、誰かに読んでもらおうとか、人に捧げようとか、楽しんでもらおうとか、ホスピタリティ精神がまったくないと自分でも思う。それはいつも気がかりに思っている。

 

でもそれは、わたし自身、そんなにものを他人に読んでもらうために書くという適性がもともとなかったのかなあとも思ったりする。
もともとそんな観点は自分の中に持ち合わせてないのに、無理矢理もしかしたらこれまで世の中の基準に合わせてきて、そういう偽ストーリーテラーを装っていた偽善者だけだったのかなと思ったりもする。

 

これから誰かに読んでもらいたい文章なんて、わたしに書けるのだろうか。

 

それと相反するけど、いまは自分の人生を生きること、まずはそれを一生懸命やりたい。そこで出会った人との関係を大切にしたい。

 

だって、「そこ」に身を置いているのは、いま、ここにいるわたしなわけだし、まずはそこを味わわずして、しらない誰かに向けて文章を届けることが、いま、ここにいながらにしてそれは両立できることなのかと、ひどく悩んでしまう。昔からだけど。

 

記者の現場ルポとか読んでいても、自分もそこに身を置いていたときは、あんなルポが将来書けたらかっこいいなあとかあこがれたものだけど、
そこからなにも関係ない立場に自分がなってみたら、そんなに限られた数時間なり数日なり、その現場に「密着」したということにして、記者という肩書きだけでそんな器用に当事者と記者を同時進行で行き来できるのかなと思うようになったし、

突き詰めていくと、当事者にまさるものがこの世にあるのかと疑問に思ってしまったし、

記者がなぜ当事者にならないのかも疑問だったし、

記者という肩書きを捨てて当事者にだってなる選択肢はあるのに、なぜ記者という人たちは、記者という立場をそんなにも守りたがるのかとか、

自分にとってはさっぱりわけが分からないことだらけだった。


そんな疑問を持つのは、普通はあまりないことだというのが分かってきたころ、わたしは「記者」をしたいというよりも「当事者」を生きるというほうにもとはといえば興味がそこからあったんだなと、改めて気づかされた。


「記者」として無理くり入るくらいなら、別にそういう意味では失うものはなにもないから、じゃあなんらかの当事者になるよ、ってかんじでもあった。

 

ずっと前話題になった、精神科病棟に記者がまぎれこんで入院したルポも、当時はとてもああいうのにあこがれたけど、

気づけば自分はそんなふうに無理くり潜入取材なんてしなくても、長い人生、いろいろあって、わたしは望まなくてもそこに入ってその現場を当事者として知ることは余裕にできた。同時に、ルポ精神科病棟の自分の中の価値が、ないに等しくなってしまった。

 

だけどわたしは、それを閉鎖病棟生活をルポとして、誰かに発信したいとは思えなかった。
それはたぶん、わたしが当事者よりの人間で、「当事者」を精一杯生きているから、だろう。当事者を生きていればそれで十分、と思えるからだろう。


「記者」という自覚を持ったことはあまりなかったのかもしれない。「記者」としての能力というよりも、自分がアイデンティティとして「記者である」と感じたり肯定したりする素質がなかったのかもしれない。
「当事者」であることに加えて、「記者である」という要素も自分の中に加われば、たぶんそれを世に知らしめたい、という欲求がわいてくるような気がする。

 

だけど少なくともいまは、あえて、たぶん、記者としての自分を消し去っているように思う。消し去って、これまでおざなりにしていた、考えないようにしてきた「当事者」と向き合うことで、まずは当事者として精一杯生きていくことで、それから自分がどうなっていくのか、そんなこと自分でも分からないからこそ、それを当事者として見つめていくことが、まずは楽しみでもある。