緊張ちゃんとゆるみちゃん

ツンデレ隠居系女子の日記/東京→北東北に移住4年目

言葉の力

久しぶりに作家の高橋源一郎さんがパーソナリティーをするNHKラジオ「すっぴん」を聴いた。
一言一言からにじみ出る源一郎さんのやさしさは、安心する。「言葉の力」を本当に信じているからこそ、それを扱うこわさも、その可能性も両方をまるくつつんでくれているかんじ。


石牟礼道子さんの代表作「苦界浄土 わが水俣病」についての源一郎さんの話もとても興味深かった。

絶望を言葉そのもので絶望的だと伝えるのがドキュメンタリーだとしたら、絶望を美しい、尊いとさえ伝えるのが文学の力なのだと。
そうでもしないと人間はつらくて勝てなかったからかも……という源一郎さんがぼそっというところも、そんななかで自分もたたかってきたから、そんななかで自らも言葉の力を信じてなんとか生きるという絶望のなかを生きようとしてきたからこそ、思うことなのかなあと思う。

 

源一郎さんの言葉はひとつひとつが今の自分にはとてもよりそってぴったりだなあと思う。

これだけ素直に純粋に、安心してコンスタントに言葉に傾けられる人というのは、なかなか源一郎さんくらいしかいないような気もする。

 

最近は、誰もがかんたんに言葉をネットでもぽろっと吐くことができる。

自分は「書く」という世界にいたから、書いたり発信することに関しては、そこは最低限できて当たり前という人たちの中にいたから、同じ情報でも、伝え手によってこんなふうによくも悪くも伝えられることはいやなほど常に見てきたし、

現場に行かずとも、行ってもさらっと見ただけで、また電話で話をちょっと聞いただけで、そこそこ文章力と強引な捏造力すら、それなりの形の文章に仕上がってしまうというところも分かっている。


その人の人間として、中身がたとえ薄っぺらでも、弁だけは異様に立って、ルックスもなかなかだから、しかもそういう人は自分が視聴者からどう見られているかということは徹底的に知り尽くしているから、自分をどうよく見せるかのために、言葉なんてものは演出の二の次どころか三の次で、ころころ変わっていくというのも見た。

 

最近、サクサク読める本はたくさん出てるけど、本というものがつまらない。新聞記事も雑誌も。ジャンクフードやエスニック料理のように、そのときに摂取したいものを簡単に満たしてくれるのようになったけれど、どんどん言葉は「重み」というよりか、「情報」という重くはないライトな記号としての意味合いをはらんでいる。

それが当たり前の時代に生まれたら、そんなもんだと感じるだろうけど、自分はどっちの感じも知っているからか、そうまだうまくは適合できず、悩む。

 

そんななかでも、筆をふるいたい書き手は、いかにも「お上手でしょ?」と言わせんばかりの文章を書いてくる。だけど、そのどれもが小手先で、頭の中でこねくり回しているだけのへりくつごっこで、どれも同じようにわたしには思えてしまう。まあ、上手に書けましたね、がんばりましたね、というかんじで終わってしまって、まるでコンビニの賞味期限切れの食品が毎日大量に廃棄されていくようなむなしさを覚える。

 

ようするに、本人がいちジャーナリストでも肩書きはなんでもいいけど、どう思うかということではなくて、情報の受け手や売りたい相手によって、思想の芯なり、書きっぷりなり、特に「言葉」というものを扱う人というのは、そんなものを言葉によって変えてしまうことは日常茶飯事でお手のもので、
自分も本来はそんな仕事のはずではなかったはずなのに、いつしかそんな会社にとって、発注先にとって、読者にとって、視聴者にとってただただ都合のいい、たまたま「言葉」というものがそれなりに扱えるからというだけで、それを使って都合よく奉仕、サービス、こびを売っているだけの道具のような存在に成り下がってしまっていて、
まあ、せいぜいへりくつの言葉遊びの詭弁が楽しい人にとっては、まだまだ飽きない分野なんだろうけど、わたしとは住む世界がちがったんだろうなあ。


そんな言葉は、そのとき煙のように浮遊して、もう二度と現れることはない。文章がうまくなりたい、とか、ライターになりたいとか考えてる人にとっては、「この人の文章はお上手だな」と言って参考に読むかもしれないけど、たとえ内輪の人間でもそういうふうに読んだ文章が、自分の中に残ったためしなどなにもない。まるでエスニック料理を食べたかのよう。


そんななかで「言葉」というような重みはもはやなくて、言葉ほど人をだましたり喜ばしたりする狡猾な道具だと思う不信感は年々募っていくばかりで、わたしは「言葉の力」などというものが信じられなくなっていった。

 

それでもわたしは、LINEのやりとりレベルでもだけど、へらへらした心にもない薄っぺらい言葉を使う人が大っ嫌いだ。それだけで軽蔑して付き合わなくなってしまったり普通にする。

 

がんばって生きてる人は、どんなに言葉が不器用でも、その言葉には魂が宿っている。それが、その人と出会って話して1分以内でも感じることができる。

だけど、たとえ会ったことない人の文章に触れて、どんなに論理的でお上手な文章で、おもしろおかしくなるほどというオチで書かれている本に出会ったとしても、ああ、この人、リアルにがんばって生きることを放棄しているな、頭の中だけでこねくり回して筆の力に頼っただけだなというのが、これは第六感なのか分からないけれど、わたしにはすぐに分かってしまう。

同じずっと読み続けてる作家さんでも、ああ、彼や彼女はそういう時期なんだなというムラがあって、のちのち発表されたエッセイで事情が明かされて、やっぱりいろいろあったんだなあと分かることがあって、人というのは波もあるしムラもあるし、コンスタントにいかないものだなあというのも分かる。

 

だけど、そんなふうに日々、わたし自身も心のムラがあって、がっかりさせられてあきらめながら、だけどたまに聴く源一郎さんの言葉に接すると、やっぱり言葉の力はある、まだあるんだ、信じていいんだな、とそう心があたたかくなる。

 

今日は震災をテーマにした女性リスナーからのおたよりで「震災が起きたとき、陸前高田にボランティアに行った……いまも交流が続いていて第2のふるさとのようだ……こういうときに、子供に常にいい背中を見せられる親でありたい」という内容がアナウンサーによって読み上げられた。

震災の日がまた近くなってきて、わたしはこういうボランティアをしたという人の話を聞くと、体が鉛のように重くなってしまう。


源一郎さんは、それに対してどうコメントするのかなとわたしは耳をそばだてた。

源一郎さんは、そのことを触れてか触れてないか分からないようなかんじで、その行動がいいとか悪いとかじゃなくて、困難な状況を目の当たりにしたとき、人がそこからどう考えていくかということが大事で、そこから善とか悪とか、そこから自分に欠けたものに気づいてどう道を切り開いていけるか、ということが大事(ざっくり言うとこんなニュアンスのようにわたしには聞こえた)ということを言っていた。

 

わたしは、その言葉を聞いて、救われた思いだった。

 

あのときは、わたしは、震災の被災者や支援者の現状だったり、復興に向けてのそういった「善行」を「そうですねー、善行ですねー」という源一郎さん的な立場ではなくアナウンサー側の人として、どんなものも、どんな複雑な機微や事情があろうとも、すべてを「泣かせ」「善行」「復興」などといったカテゴリーに押し込めて無理矢理塗り替えるような、
言葉を使うプロであるがゆえに、そのスキルがあるために、すべて変換するような、本来そんな変換スキルを身につけるために言葉使いになったわけではないというのに、自傷行為のようなレイプのようなことをしていた。


こんなふうにして変換させられたものになんの意味があるのか、誰が必要とするのかと思った。取り扱う記者本人が、自傷行為でレイプのようなことだと思いながら変換することに、それを与えられた人は、さらに意味がないのではないかと思った。絶望をただただ絶望と伝えること、それはドキュメンタリーの醍醐味だけど、そこまでだな、そこが限界なんだなあという気持ちにもなった。

 

なによりわたしはそのとき初めて気づいたことがある。被災地の彼らも溺れているかもしれない。だけど、わたしはもっともっと前から溺れていて、本当は溺れている自分を救うためにわたしは記者という仕事をしている面があるということに気づいてしまった。
誰かのために役に立ちたいなんていう崇高な大義名分をかかげて、正義感でペンをふるいながら、実は、自分がどうしてこんなんなのか分からなくて自分のことを知りたかった、誰かの救世主ぶることで、実は自分の救世主を誰よりも求めていた。


大きな災害や震災の被災者のように、なにか悲惨なことがあれば、すぐに大きな事件だというだけで救ってくれるような分かりやすいものではなくて、

わたしはあまりに個人的すぎて密室すぎて、マスコミや警察が扱うのには、児童相談所が動くのも成果にもならないし巧妙でグレーゾーンすぎて、だけどわたしを幼少期から青年期にいたるまでじりじりとわたしを蝕み、ダメージを与え続けてきたものについて……


わたしはあのとき、被災者を自分の出来るやり方で、役立てるように動こうと思った。だけど体が動かなかった。
それは震災がきっかけだったのか、これまでたまりにたまったダメージが20代後半になって、体も心ももう限界と、そうなっていった時期だったのかもしれない。重なったのかもしれないし、震災がその引き金になったのか、早めたのかは分からない。


そのとき初めて小さい頃のわたしが出てきた。小さい頃のわたしは、こう言った。というよりも叫び、泣きわめいていた。「だれも大人はあのときのわたしを誰一人助けてくれなかったじゃない」「わたしが困って、本当に助けを求めているとき、何度も助けを求めて、というか助けを求めることすら知らなかったわたしを、大人はなにもわたしに目をくれさえもしなかった。相変わらず、自分たちが一番大変で被害者であるかのように、自分だけが助かろうと、大変だ大変だとわめいて自分たちの利益を考えている」「もうわたしは誰も助けたくない」


その小さな子供の叫びを聞いたとき、わたしはまず、わたし自身でもあるこの小さな子供の叫びにわたし自身が耳を傾けなければいけないと思った。


世の中は震災で、属していた当時の報道機関も未曾有の震災にてんやわんやでパニックだったけど、だれもがそれしか見えていなかったけど、わたしには周りがどう世の中を見ていようが関係ないことに気づいた。

というか、今回は未曾有のことが起きたからとても分かりやすかったけど、だけど大きくても小さくても、わたしはいつもこの人たちとは見えているものはちがって、ちがう世界を生きていて、だけどわたしはわたしの世界にずっと生きていて、ちゃんと見えているものはあって、わたしという存在はまったく変わっていなかった。

いまはそんなふうに整理している。


あのときは、こんなときすら「記者」としてもとめられている風に動けなくて、切れない包丁が意味がないように、記者として失格だと思って、もうおしまいだなと思った。向いてないんだろうと。ならば、切れない包丁は捨て去ってしまおうと。誰にとってもそんなもの包丁としても意味がないから、と。


あのときわたしは、わたしがずっと溺れていたことに気づいた。それが浅瀬だったのか深い場所だったのかは分からない。だけどわたしは、誰かの手をつかんで助けを求めるのではなく、溺れた自分をまずは救わなければと決意した。


同時に、人にも手を差し伸べるべきではないと思った。本当は自力で立ち上がれる人の力を奪って、溺れ続けてしまうこともあると思った。

 

また、これまで溺れ続けてきて、周りはきっと、ああ、こんな浅瀬で溺れているみっともないやつがいると傍観したり素通りしたり、見下したりきっとたくさんわたしはされてきたことだろう。
だけどわたしは、彼らに助けを求めたことは一度もない。同情なんてされたくなかった。だから、わたしも、同情はしまい。そう決意した。

それまでに、震災から5年以上の時間がかかっていたけど。これが、わたしにとっての震災だ。

 

「震災」について、先のボランティアの話とかもそうだし、あの日を忘れない的な報道を目にすると、あのとき「自分の中の震災」と「世の中としての震災」というあまりにかみ合わない両立しえないものの間でもがいて自分を責め続けていた状況がよみがえる。


だけど、今日の源一郎さんの言葉で、わたしは「わたしの震災」としてたしかにあのときそこに存在していたのだと、堂々と胸を張ってそう思って、生きていけばいいんじゃないかという気持ちにさせられた。


源一郎さんのいうように、大事なことは、具体的にそこで行ったことが善か悪かではなく、そこから足りない自分に気づいて、どう自らが再起していくかということ。悲惨なことも、ひとつのきっかけにすぎない。それは震災だけではなく、あらゆることにも通じる。


わたしはあのとき、自らがこれまでずっと溺れ続けていたことに気づいた。それから溺れた自分を救うような道のりを、記者として、メディア人としては道にはずれてしまったけれど、だけど、わたしも、絶望を絶望と見るのはつらかったから、人は弱くて絶望には勝てないから、その間に出会った「言葉の力」によって、苦界を浄土にすることで、たたかって、いまここまで生きていくことができた。そして、気づけば溺れてなくて、いまひとりで、ここに立っている。

 

「言葉の力」というものが、あまりにもどこにもあふれすぎていて、消化しきれなくて、信じられなくなってしまうことのほうが、普通に生きているといまは圧倒的に多いけど、だけどまだ「言葉の力」は残っているんだと信じたい。

自分もやっぱり、言葉の力を信じて、そして救われてきたから。

 

いつかわたしも、源一郎さんのように、醜さも無意味さも可能性も内包された、聴いている誰もを包み込む、言葉の力を諦めてしまった人が、やっぱり言葉の力だと思えるような、また自分自身をやっぱりそう思わせてくれるような、そんな作品を作りたい。絶望を絶望だと思うには耐えきれなくて、だけど色鮮やかにたたかおうとするやさしい人たちへ。