わたしのたのしいあそび
「もしもこの街に住むことになったら」と仮定して、ふと降り立った街を歩いてみる遊びが好きだ。
歩きながら、こぢんまりしてて、でも清潔感があってなんとなくいいなと思ったアパートを見つけると、そこがわたしのおうち。
それから、近くに八百屋があるから、そこでお野菜を買おう。あ、でも疲れた日はここのお弁当屋さんで買って帰ろう、とか、
カフェはここに通うことになるのかな、とか、実際に不動産屋さんで相場や間取りを見てみたり。
近くにお気に入りの公園があれば、言うことなし、とか、
そういうシチュエーションで街を歩いてみるのも、わたしにとって楽しいことの一つ。
そしたらたくさんの街に住めるし、まいにちが旅みたいに暮らしているわけだけど、旅の中の旅みたいな不思議なかんじになる。
そんなこんなで、バックパック旅3日目は、「調布に住んでみることにした」遊びをしてみることにした。
実は、今回東京に行くにあたって、どこか一か所でその遊びをやってみようと思っていて、だけどあらかじめ決め打ちすると直感が萎えるから、あえてなにも考えずにいた。
そしたら体が新宿から京王線に乗って、調布に向かっていた。
「柴崎」という駅に降りて入った「茶以夢」(ちゃいむ?)という喫茶店。名物の白いカレーを食べました。
入ったら、ちょっと頭の大変そうなカウンターの青年が、耳の遠い高齢のマスターにちょうどけんかを売ってる最中で、わたしにも火の粉がとんでくる始末で、かわすのに一苦労で、
わたしの「遊び」は出鼻からくじかれた気分になったけど、
その青年が帰って静かになってからは、背中の曲がったマスターが、いまも現役でやってるドラムやバンドの話やジャズのこととか、写真とかを交えて話してくれて、きらきらした目が印象的だった。
柴崎は、京王線のなかでも再開発が唯一?すすんでないところなのか、けっこう古い下町みたいな商店街的な空気を、駅を降りてからすぐに味わうことができる、全体的にほっこりした雰囲気に包まれた街だった。
わたしはそんな雰囲気を味わうと、それだけで元気になるみたいだ。そこにいるだけで、自分にとってほっこりを感じられるものを知ることは、きっと自分の味方のようなお守りみたいな存在に、生涯にわたってなってくれるだろうと思う。だからわたしはこれからも、いろんな場所をたぶん歩いていく気がする。
それから、前から行きたかった「手紙舎」へ。
この街に住んだら、きっと毎日通って、入り浸ってしまうだろうと確信した。本とコーヒーと、かわいい雑貨に囲まれていたい。
街を決める決め手は、わたしの場合、お気に入りになれそうなカフェが近くにあるかどうかが一番大事だった。
以前、高円寺に住むと決めたときも、中央線沿線の喫茶店を舞台に描いた角田光代さんの短編集「ドラママチ」と出会って、
それがきっかけであの界隈を歩いてみなかったら、ぜったいに4年間の間に2度も引越ししちゃうくらいに好きになってなかっただろうし、たくさんある街の記号の一つにしかなってなかっただろうし、
中央線のオレンジ色になんら郷愁もおぼえなかっただろうし、
まちがって東西線に乗ってしまって、隣駅の中野で降ろされてしまっても、「どうして新宿に降ろしてくれないの!」と東西線に泣きわめきたくなるような気持ちを知ることはなかった。
もうひとつ、カフェに加えて大事になった、その街に住む理由は、近くにお気に入りの公園があるということ。
前日会った調布エリアに詳しい友人から「府中の森公園」はいいよって聞いたこともあって、東府中にも降り立って行ってみた。
近くに高校があって、ちょうど下校途中の子達が歩いていた。冬でもふかふかじゅうたんで木洩れ日が注ぐ道が通学路って、いいなあと思った。
ぎゅんた
しんじく