緊張ちゃんとゆるみちゃん

ツンデレ隠居系女子の日記/東京→北東北に移住4年目

心配はいらない

心配はいらない


極限に振り切れれば振り切れるほど、揺り戻しが強くなって、こんどはあっちに振れているだけだから

だけど、こっちにも、あっちにも、わたしはずっととどまれるわけじゃないから

ずっとあっちに行ってしまうことはないことが、自分がいちばん知っているから


ブランコのりは、ずっと大きく振れていることもできなくて
そのうち飽きたり疲れてしまって
振れ幅がせまくなって、やがて止まる


あっちの世界にずっと、コントロールがきかないくらい振り切れ続けちゃう人は、病気だっていっていいと思う。だけど、わたしの場合はいつもちがった。あっちの世界にいながらも、あっちの世界にいる人みたいになりたくて、そうしてるふうを演じたりしたけれど、

振り子の真ん中にいる自分の裁判官が、あっちの世界にいる別の自分を常に眺めていたかんじ。


アンコントローラブルなフリしてて、ほんとうは片目でコントロールしてた。

そして、ほんとうにアンコントローラブルな人たちを、冷静に見つめて、観察してた。

(オウムの麻原彰晃も、子供時代に通っていた盲学校の中で、ほんとうは自分だけ片目が見えていたということで、自分は特別であるという感覚を見出し、そこから教祖になるまでに自己愛を肥大化させていったんだというようなことを先日、精神科医・岡田尊氏さんの新書「マインドコントロール」という本で読んだ)


ただ、唯一ちがったのは、「その人」の前では、わたしは完全にアンコントローラブルになった。「その人」と2人の世界の間では、わたしはなにも見えなくなっていた。

とはいえ、そういった例外が一部であったよという話であって、

それ以外の人に対しては、わたしは自己をコントロールできていたし、

それ以外の人は、「その人」ではない、それ以外の人だということも認識できていたし、


わたしは、立派な、本来的な、衝動性も易怒性も自傷行為も自殺企図やアディクションも、ほんとうは持ち合わせていなくて、
最後にわかったのは、というか認めざるをえなかったのは、わたしは普通だ、ということだった。


そして、いつも、ずっとずっと、自分はただただ普通になりたかった、という気持ちだった。


両極のどちらかに振り切れてしまうお決まりのことも、

ただ、もっともなりたい「普通」を知るための、健全的といったら健全的で、ちょっと行き過ぎだけどさもありなんな行為の範囲内でしかなかった。

 

両極のどちらかでしか生きられない人とか、そっちに行きたくて向かってる人とは、やっぱりちがって、

なるようにしか人はなれなくて、

わたしはいつも振り子のようになりながら、ふつうを探りたい、ただそれだけだった。

 

「いつもバランス、バランスって、つまんねーんだよ!この保身くそバランス男め!」といって何人かの男性に冷や水浴びせて追い返したけど、自分こそ石橋を叩くくらいに慎重な超バランス女だった。


「振り子なんて普通のことじゃん、当たり前じゃないか」って当たり前のようにまともな人からは言われそうだけど、
まともな世界に入り続けていること自体も、その人にとっての選択の積み重ねの結果であって、
いま自分が考えていることが「まとも」とか「普通」とか言えて、

方向感覚や磁場にすいとられずに思えるということは奇跡なことで、

誰だってなにかのきっかけではずれたっておかしくはないわけで。


こうなってみて思うけど、自分だってもし、初めから「枠」や「組織」とかそういったものを知らずに来ちゃったら、いまもそう見えていたかなあとは分からないわけで。


いやでも組織なり主従関係なりにからめとられていたことで、その間はそこから社会を見ることをゆるされて、自分なりの社会や世の中の座標軸を形成させていったわけで、


だから自分のまともも普通も、人のまともも普通もこわいものだとは思う。


そんなこわさがわかったうえで、

ともあれわたしはわたしに帰ってこられる、というか、

どうせわたしに帰ってくるのだからという絶望なのか分からないけれど、
どこへ行ってしまったとしても、わたしがわたしに帰ってくること、

それは自分が自分でいちばん分かっていることだから、もうなにも心配することはないなあと思う。


あそこへ行ってしまったことが病気だとか、そもそも別に誰も思っていなかったというか、いちばんに自分がそう思ってなかったというのに。

 

そのくらいよく分かっていたのに。

だけど自分が普通で、なにものにもなれないのだということを認めなくなかった。普通をつきつけられるほど恐いものはなかった。


ほら、やっぱり普通に戻ってきた、なんてつまんないやつ、やっぱりお前はたいしたことなかったんだな、お前はその程度なのかよ……

そうやって誰かから侮辱されるのが悔しかったし、そこに戻ってきちゃいけない気がして、


だけどわたしはやっぱり普通で凡人で、普通になりたくて、普通を知りたくて、って思ってて。


かといって、やっぱりお前はごくごく普通の人だよ。いつまでもそんなことやってないで、普通であることをいい加減認めろよ、

だけどがっかりだけどな……

っていう一言余分なニュアンスで言われるのも傷ついて、

余計普通を認めるまでに、こじらせてしまったのであった。


だけどいまは、なにをやっても、どうせ普通に戻ってくるということが、

これでもかというトライアンドエラーの実証実験を通して、

もうこんなに実験すれば絶対まちがいないでしょ、ってくらいに自分でも納得できたので、


最近も、ちょっとあっちに行っちゃってるなーって思っても、

「まあ、そのうち戻ってくるでしょう」って自分の中の誰かから誰かに言うことができて、あまりまともに焦ったり悲観したりもしない。