緊張ちゃんとゆるみちゃん

ツンデレ隠居系女子の日記/東京→北東北に移住4年目

夢いろいろ

寝起きのチャイを飲みながらこれを書く。
今晩も夜中を過ぎても眠りに入ることができなかった。バロック音楽のラジオとかも聞いてみるけど、ますます頭がさえてきてしまうし。けっきょく薬をさらに追加した。ああこうやって、薬がふえて廃人になってしまうのだろうか。
もともと不眠症だったけど、もう取り返しがつかないくらいの、本格的な、がちな、大不眠症になってしまった。眠ることがどういうことか、忘れてしまった、分からなくなってしまった。

 

明け方、夢をたくさん見た。
そこには、祖母と母がいて、家で穏やかな時間を過ごしていた。そこでは、わたしが笑いかければ、彼女たちが笑い返し、その目を見つめれば、相手もその目を見つめ、わたしが悲しい顔をすれば、あなたも悲しい顔をして、あなたも悲しい顔をするから、わたしも悲しくなって瞳の奥をのぞきこむ。うれしそうたのしそう、だったら大好きなのはまちがいない、そんな世界。


誰かが投げかけたことにたいして、そこにいる誰かから反応が返ってくる。それがコミュニケーション、当たり前。

夢ではわたしは、母に、祖母に、言葉を投げかけると、あたりまえのコミュニケーションのキャッチボールが返ってくる。
現実には得られなかった、だけどとても穏やかで、そこに危険はなくて、安心できる時間。だけどそれは、ごくごく当たり前のコミュニケーションで、わたしは別にレベルの高いことを求めているわけでもない。


つい最近まで、もう何年間もずっと毎日のように家族が夢に出てきて、特に母とは、まったくコミュニケーションとれなくて、どちらも折れることができなくて、というか、コミュニケーションが分からない母の土俵にわたしが合わせて一緒になってヒートアップしてきちがいになってしまうことで、夢の中でも毎日罵倒しあってた。その自分の声で目覚めることも多々あった。


だけど最近は、現実ではかなわなかったからか、せめて夢の中では、特に母も、そして祖母も、わたしと意思疎通していて、せめてもう二度と現実では意思疎通できることを彼女たちに求めることはかなわないとあきらめがついたからか、せめて夢の中ではわたしは穏やかな時間を一緒に、わたしは彼女たちと過ごせるようになっていった。

現実には、本来だったら一緒に過ごしたいけれど、できないから、夢の中でするのが精一杯で、現実には会えない無念さを、少しでも軽く感じようとしているのかもしれない。


いずれにしても、つい最近までは、夢の中さえ現実と地続きだったのが、せめて夢のなかでは穏やかに家族と過ごせているのは、せめてもの救いだと思う。だけど、そんなことを誰かに言ったら、あなたはなにも向き合ってないと、家族の絆至上主義者に糾弾されてしまうだろう。

 

そういう穏やかな家族との夢を見ながら、わたしは、小4のときアル中廃人で亡くなった祖父も含めて、家族4人を、

1歳半のときに追い出された父も含めたら、正確には家族5人のことを、
彼女たちは、もういなくなった人のことなんて、自分たちで追い込んで追いやったくせしてけろっと忘れて、いつも自分のことしか考えられなくて、

しかも記憶を次々に自分に都合のいいように改ざんできる天才で、

あの家に残った彼女2人というのは、

わたしとはまったく相容れない、もっとも人間の醜くふてぶてしい塊の、

まるで千と千尋の両親が豚になってしまう冒頭のシーンの、そのまさに豚の象徴みたいな、欲望にまかせて「欲」を食べて、風船のように欲で膨れ上がって言っているような、

ずっとそんなかんじでわたしは彼女たちのことを、いまでも得体のしれない気味の悪いばけもののようにしか、いまとなっては思えない。


それでも、追い出された父、亡くなった祖父も含めて、わたしは最後の最後まで、仲良くなってほしいという思いをあきらめることはなかった。
母は、父のことも大嫌い、祖父のことも大嫌い、祖母のことも大嫌いで、わたしのことも、自分の「お人形ちゃん」であるときは大好きだけど、少しでも一人の人間としての片鱗を出したらそれもまた大嫌い……なそんな母だったけど、

わたしは彼女を変えることはできないとしても、自分ががんばれば、ばらばらになってしまった家族を家族にできるんじゃないかと、最後の最後まで頑張り続けた。


だけど、残った母も祖母も、誰もその思いに答えてくれないばかりか、

気づいてくれないというか、

そんな人としての機微なんてものは、欲深い彼女たちの脳のプログラミングにはもともとなかったようで、

最後に、彼女たちは異星人だったって思うころには、わたしは空虚感とあきらめのような、もう人生終わっちゃったようなお茶の出がらししか残ってないような、子育て空の巣症候群の婦人公論に投稿される手記みたいな60歳代の人くらいの心境に、一気にしてなってしまった。

その間に、仕事の充実や、結婚や、子育てとか、そういうライフステージを送る権利だってあったのに、一気にすっとばして、そんな境地に行っちゃった感じがした。

 

夢の中でのわたしは、穏やかな、というか、人としての最低限のコミュニケーションができる笑顔の彼女たちと、穏やかな時間を3人で過ごしていた。

老人ホームカットの白髪姿だけど、まだ自力で歩ける90歳は過ぎたけどまだ元気な祖母は、長袖のスエットを着て歩いていた。

 

夢を見て、わたしは知る。ああ、わたしは、自分勝手でばらばらでいつも不機嫌じゃなくて、みんなで仲良くしていたかったんだなあ、って。


現実では、大学時代に3人で記念写真を撮ろうとしたら、不機嫌な母にカメラを持った手を振り払われ、自分がいかに不機嫌になっているかをとうとうととかれ、お前も不機嫌にならなければ薄情者だみたいにいつものごとくきちがいに詰め寄られた。

だけど、キハチにランチコースを食べに行く前(それもわたしが企画した)で、3人ともおめかししてなかなか写真を撮るような機会もないから、そうやって提案して、

でも祖母は、いつものごとくわたしと母のもめ事はまったく目に映らないようで、ひとりだけもう写真とられる気まんまんな受け身まぐろ少女みたくなってて、

わたしはむりやりカメラのシャッターを押して、記念写真をいろいろとった。

だけど現像されたその写真は3人とも気持ちがばらばらなのは誰の目にも明らかで、

母は自分の不機嫌で頭がいっぱいなお決まりな自己中な表情、

祖母はぼけーっといつも無責任でにこにこでカメラの前では見栄っ張り欲全開、

わたしはそんな2人の間でいつも気を遣って神経をすり減らしてげっそりしている顔、

そんなちぐはぐな3人の写真が残っている。

家族だったら、それも家族だね、家族らしいね、って肯定できるはずなのに、全然好きになれないその写真。


だけど母は、その写真をいい思い出だと気に入っている。いちばん迷惑をかけて、写真すら拒否した超本人なのに、彼女はそのことすらいつもすぐにけろっと忘れてしまう。記憶が改ざんされて、あら、いい記念写真ねえ、なんて一人で言ってる。

わたしがもうそのころには疲弊して魂も気力もなくなっていることなんて知らずに。

わたしはそうやって母の記憶が改ざんされたころにはいつも、もうそんなもん、どうでもいいよ、って思ってる。

 

写真を見たりすると、そのときの気疲れとか、どんな状況だったかということをわたしは再体験したかのように、いつでも再体験しているかのように、どういう記憶の仕方なのか分からないけれど、正確に、何年たっても、生々しく、まるでその場にいるかのように、わたしは思い出すことができる。

わたしはそのときのピンクのタンクトップを着ていて、すわったソファの生地、さわり心地、蒸し暑い夏の天気……などなど。フラッシュバックは簡単に起こせる。

 

だけど穏やかな時間もつかの間、夢は悪夢の方向へと向かう。

眠れなくて、精神病院の入院の種類(措置入院とか医療保護入院とか任意入院)や精神保健福祉法の手続きについてネットや本でぱらぱら見てたこともあって、

わたしはまさに措置入院されるような、たぶん、どこかのスタジアムでたくさんの人が集まっている場所で、憎きおじさんを2人ほど殺してしまったようだった。

それから逃亡者となって、逃げこんだ集落には母がいて、

母と保健師さんがなぜか、鳥かごに入れた生まれたばかりの赤ん坊を連れてきて、わたしに見せたのだった。


その赤ん坊は、だけど首から上しかなくて、目は大きいけれど、顔の真ん中に1つしかなかった。
わたしは彼女たちに「赤ん坊って、首から上しかないものなの?」とか「その離れた首は、胴体といずれくっつくの?」と聞いた。そしたら彼女たちは、「生まれたばかりの赤ん坊は、首と胴体が離れているものだけど、そのうちくっついてくるのよ」と答えた。

おかしな会話だけど、そうなんだ、とわたしは納得していた。たぶんそれは日中、イスラム国に公開処刑された人の生々しい場面を思い出すことがあったからだろう。


それからわたしは、散歩に出た。山の中の集落だったはずだけど、そこは港町だった。吸い込まれるくらいにきれいな波の音が聞こえた。自転車のペタルをこぐくらい、足がスムーズに進む。

あの曲がり角を曲がったら、海沿いの隣の通りを歩いて、家に戻ってこよう。そう思ったけど、その曲がり角は、じめじめとした暗い神社になっていて、わたしは引き返すことなくずんずんと進んでいった。そこには海沿いの整備されたきれいな道があるはずだったけど、なくて、いたはずの守衛さんも消えていて、崖っぷちになっていて、その崖はぬかるんでいて、登ろうとしても登れそうにないし、登った先に、もうなにがあるのかも分からない。わたしは道に迷ったのだ。


道に迷って不気味な場所をぐるぐる迷路みたいに回り始める夢。

精神状態がとてもよろしくないときに決まって見る夢だ。

やっとうとうと眠れたときには、もう日はのぼっていて、気持ちよくて惰眠をむさぼろうにも、その繰り返しを何ラウンドも味わうくらいなら起きたほうがいいと思って起きた。