緊張ちゃんとゆるみちゃん

ツンデレ隠居系女子の日記/東京→北東北に移住4年目

まぎれられなかった

やっぱり昨日の人間ドックの乳がん検診の超音波で、ああいうふうに言われてしまっては困る。いずれにしても、結果は3、4週間後に郵送されるわけで、その間は対処ができないわけだから。

自覚症状があって病院を受診して、その検査結果が出るのをやきもきしながら待っているのとはわけがちがう。

心配するのも想定の範囲内というか当然負うべき心配と、聞かされても聞かされなくても、いずれ手も足も出なくてどうしようもできない負担を負わせられてしまうのは、なんだかなーってかんじでもやもやする。


あらいぴろよさんの漫画「隠れビッチやってました」を読み終えて、ああ、わたしも自分の不安や満たされなさや著者のいう「底の空いたコンプレックスの段ボール箱」みたいなものを満たすために、

相手もずるくて都合がいいのならば、自分も都合よく相手によって満たしてもらおうというところが、彼女のように相手は600人もいなかったけどあったのかなあと思った。


だからむしろ、まじめで本気だったり、うぶすぎると困った。さよならして全力で走り去った。自分の弱点や汚い点を必死にアピールして、引かれてきらわれようとした。

だけど同時に、必死でたしかめてた。

 

同じくらいすかすかで、さみしくて、満たされてなくて、世の中を信用してなくて、昨日見た詩人の最果タヒさん原作の映画「夜空はいつも最高密度の青色だ」みたいに出会う同士みたく、

東京の夜空が黒ではなくて最高密度の青色に見えるくらいにからっと絶望しているところがあって、

そんななかでも、そういう者同士だからこそ、同じくらいの絶望度だからこそ、同じレベルでもしかしたら進んでいける、育んでいくことが、自分たちなりにできるんじゃないかという絶望系なりの、わたしも熱い希望を持っていて、そこだけは見失えなくて、見失って楽になろうとしたり、なかには過労死したり自殺したりして命を落としてしまう人もたくさんいるなかで、

そこの希望の部分だけは、東京の人混みのなかにまぎれたくなくて、というか、どうしてもまぎれられなくて、そこだけは汚れた外気にも、ましてや見失ってしまった人には触れさせたくなくて、

彼らはゲシュタポのようにどこにでもいて、奪って汚そうとするから、

わたしは必死で守っていたともいえる。


人からはずっと鈍色の分厚い空しか、もうすでに見失ってしまった人たちのもとには広がってないように思われていても、

たとえば100円くらいで売ってる、部屋にあるサボテンのブリキの鉢植えをふと見ると、ある日花をさかせて、「あっ」と2人で喜び合えるような、

絶望な空の中でも、本人たちの間では、ちょいちょい晴れ間がのぞく瞬間があるし、だからつらい日々を乗り越えていけるし、それは2人の間だからこそ見える……


「夜空はいつも最高密度の青色だ」で、全部あの低温でぐつぐつしたまま最後までいくかんじは好きだったけど、ちょいちょいはさまれる、多肉植物がふと花をさかせて「あっ」と2人が言って泡のようにすぐ消えていく瞬間とか、

東京の上空にぷかぷか浮いている飛行船をただ見上げるだけの場面とか、
ダサい歌詞を歌う売れないストリートミュージシャンの女性も作中ではちょいちょいはさまれてくるんだけど、あるときその女性を宣伝するけばけばしいラッピングカーが2人の目の前を横切る瞬間とか、


ひとつひとつがすぐに忘れ去られるようなどうでもよい出来事で、
だけど、もしわたしが、いつか「普通」や「まっとうさ」を、手に入れてしまったら、

もしくはいま手にいれつつあるのか、手に入れる方向に進んでいるのかも分からないけれど、

そうなってしまったら絶対に見えなくなってしまう大切なものが、その物語にはちりばめられていて、息が苦しくなった。


「久しぶりに東京に行って楽しかった」なんて言ってしまう日が来たとしたら、実際にそう感じつつあるわたしがいまここにいるわけだけど、

「東京は楽しい」としか想像できない人と一緒に、「楽しいね」なんてやっぱり手を取り合って共有するかと思うとぞっとする。たかだか言葉にすぎないことに底の浅い嫉妬を向けられた日には落ち込んで、ああここにも居場所はないなとふさぐ。


東京(あるいは、トウキョウ的な場所や生活と置き換えてもいいと思う)は楽しくなんて全然なかったし、好きじゃなかった。

だけど、華々しいイメージを想像するだけで終わってしまった人や、低温でぐつぐつ続くようなかんじとかを同じように実感したわけではない人たちに、わたしの「好き」を語りたいとは思わない。
(それは、わたしが北東北の山間部に2年間住んで、彼らがわたしに最後まで「好き」になることを絶対に肯定してくれなかったたぐいと似ていた。彼らは彼らで、彼らなりの低温でぐつぐつする感じを、世界に一つしかない自分たちだけのものとして信じ続けていつまでも感じていたいのだと思った)


どこにいってもわたしは浮いてしまって、はじき出されてしまう系で、枠にはまりたくてもはまれなくて、ひとりぼっちになってしまって、
どこに行っても、お金があってもワープアになっても、ワープアからしたら羨むような地位や学歴があってもなくても、社会的に賞賛されることがあったときもなかったときも、虚しくて、自分は変わらないわけだから、自分は自分のままで受け止めるしかないんだから、

場所なんてどこでもよくて、ほんとうは場所なんて関係ないことを、いやなくらい分かっているし、
だからいまの場所のむなしさも、どこか別の場所にいけば、恵まれた境遇で育ってればとか、お金があれば、とか、もっと専門性やキャリアを極めれば、解消されるたぐいのものではないなんてことも、いまさらどうでもいい。


どこに行ってもわたしは、低温でぐつぐつ煮込まれながら、じんわり感じるあたたかさが好きだ。いまの厚ぼったい雪空の日でも、たまにのぞく晴れ間みたいな瞬間が好きだ。


そんな瞬間を、そのときどきで出会った人と、といってもほとんどが一人で、詠み人知らずの一人芝居のようなものだったけど、その詠み人知らずな雑草のような詩も、けっこう一緒に作ったりしてきたものだった。


その詩は、相手にすら、誰にも、どこにも残すようなたぐいのものでもない、たまたま見つけた飛行船のように、けばけばしいラッピングカーのように、

2人の目の前を過ぎ去っていったものだったけど、

自分すら、別に残そうとか、積み上げようとか、未来につなげようとか思ってやっているものではなかったから、
そんなものとは両立できるとは思えないし、
だから過ぎてしまえば、お互いにとっての「都合のいい人」というものにすべてがのっぺらぼうのように変換させられてしまうし、


都合のいい人に愛だの恋だのまぶすことは、前提からして無意味だし、


その人に顔がついていたのかいないのかさえ思い出せなくて、

名前や顔はそのとき知っていたけれど、いま知っている必要性はなにもなくなっていて、


だけどわたしは、いつでも積みあげたくて、
たしかなものにしたくて、
愛されるためだったら、いくらでも愛そうとして、それが間違った努力であることも分からずに、
間違ったもの同士がひとつになって進んでいったけれど


だけどいまなにひとつ、残らなかったよ

進んでも、いなかった


わたしも顔なし、のっぺらぼうでいる以上、
相手も顔なし、のっぺらぼうに見えるし、

その人のために、顔なし、のっぺらぼうという、都合のいい自分になることで、

めんどくさいことが嫌いな、完成形しか愛さない、

そんな大人で物わかりがいい自分をわたしはわたしでやってみたいという都合のよさもあって

ほんとうは生々しくて、汚くもあり、めんどうくさい現実から、

それぞれがそれぞれに都合がいいばらばらの方向に向かいながら、目をそらしていた

育む手間を放棄した

そういう都合は一致していたのかも

 

わたしは目をそらさずに育みたかったけれど

最低のなかにこそ最高があると思っていたけれど

 

けっしてそこから育みをスタートさせたい人がすべてじゃないし

いつまでも自分のために顔なしののっぺらぼうでいてくれる存在を、金魚鉢みたいに眺めたり抱えたりしている自分を愛していたい人もいた

そういう方向が一晩で分かることもあれば、長い時間をかけてやっと気づくこともある

車社会という「設定」

いま下手に働くのは得策じゃないと分かっている。だけど、働きたくて、いや、ちがう、働きたいとか単純なことじゃなくて、もっともっと根源的な欲求がうずいて、しかたないけれど、ではどうやってそれを打開すればいいか分からなくて、方角が見えなくて、方向感覚、上下左右、すべてを見失ってしまっているかんじ。
これまでは、その生活が、やっと手に入れたかったものから、いつしか当たり前でこれでいいものに変わっていった。とくにそれに不満はないはずだった。
だけど、東京に行って、置き去りにしてきた魂の破片に触れて、ここにいる間にいつの間にか蓋をしてしまったり、葬り去ったりすることによって、なかったかのようにしてここに適合していたに過ぎない蓋が、ぱかっと全開になったままここに戻ってきてしまったことで、
ぱかっと開いたままでここで過ごすことの無防備さや、擦り傷に、体がひりひりするし凍え死にそうだし痛いということを、矛盾するようだけれど、本来感じるべき痛さを痛さとして、いま感じている。と同時に、その痛さの無意味さ、あほらしさ。ここではそんな痛みなど初めから知らないほうが、楽に生きられるような気がする。
ほんとうは、いつだってわたしは、わたしの意思によって、その缶詰の蓋を開けたり閉じたりできるはずなのに、ここの磁場は、そんなくだらない行為や感情は、さびれた国道の色あせたブックオフハードオフで、積もり積もった汚れた雪処分場よりも雑につまれているような、ごみ同然の色あせた古本やがらくたと一緒に、「ごみくず」という一緒くたにしか分類する必要性がないような、そんなかんじになってしまう。ごみくずの中から、とっておきのごみくずなど選んでたしなむ価値などないように。
日々だれかとすれちがうといっても、だれとすれ違ったかと思うと、車とたくさんすれ違ったなあと思う。人と人とがすれ違えることに、相手が車じゃなくて、人だから、気をつかったり、顔を見たり、配慮したり、緊張感が生まれたり……人とすれ違うことで生まれる当たり前のものが、ここには欠けている。わたしの根源的な欲求が、決定的に踏みにじられている。
車の中には、わたしの嫌いな密室の閉じた世界が広がっていて、閉じた世界の城(家)に住む人が、その閉じた世界の城の閉じてる具合や世界の単位をひきずったまま、車へと移行して、開けた場所に行っても相変わらず、閉じた世界の続きを当たり前のように、朝から晩まで飽きずに平気な顔してやっている。
わたしには、城から車から、並行移動しただけの集団に、薄いベールが張られているように見える。卵の殻のような薄いベールが、一つの空間に、たくさん、たくさん、張られているのが見えたとき、わたしの体は鉛のように重たくなる。幼い頃の家庭という密室を思い出して、その永遠に逃れられない感じを重ねてしまうからだろうか。
今日はいつもとちがった国道沿いのコーヒー屋さんに人間ドック帰りに寄ったけど、そんな自分のタイミングだからなのか、心の調整弁の開き具合や強さによるものなのか、たまたまそういう状況が客観的に存在したのか、あるいはどこがどう重なったのかは分からないけれど、そんな気持ちになって、せっかく開いた気持ちがしゅるしゅるとまたしぼんで、無力さを感じて、くつろげずに帰ってきた。
なんて言ってみるけど、とにかくしゃべっても価値観が合わないし、らちあかないし、つまんねー。すべてがすべてじゃないと信じたいけれど、だけどあまりの不発っぷりに、信じられない気持ちになるし、自分の中の裁判官が、自分にも厳しく裁くくらいに、相手のほころびを容赦なくあばき、切り刻み、頭のなかでぐるぐると反芻する。
そんな鬱屈とした気持ちだけが、たまっていくだけで、どうやって発散しようと努力しても、外にベクトルが向いて進んでいかない。内側にたまっていくだけたまっていく。「場面」というものがまったく展開しないから、当たり前なのだけど、本当にここでは場面が展開せずに、ちょっと展開したかなって思っても、また同じ場面に戻っちゃうかんじ。

小説でいえば、車社会という「設定」が、人とクロスする「展開」や「新局面」をうそくさくさせる。かっぱ寿司のカウンターでさえ、実際は人と人の袖も振り合わない。
雪がとけたら動けるようになるでしょうとか、ごまかされたくない。「春だ」ということにも、煙に巻かれて浮足立つなんてこともしたくない。もうちょっとあたたかくなったらやればいい、とか、雪でなにもできないからねえ、とか、ここは車社会だからねえ……とかそんな根拠のない台詞ばかりを飽きずに年がら年中、四季のせいにして先送りして同じところをぐるぐるするような人たちと一緒に、ごまかし合って生きていきたくない。

目が合わせられない

きょうは大雪。お出かけするのも大変。お出かけしただけで、がんばった、っていう気になる。全然がんばってないけど。


ハロワから帰ってきて、熱いカモミールティーを飲んでる。おやつはなめらかプリン。


きょうも不眠が昨日よりも増してしまった。眠いのに眠れなくて、ついに日中も眠くてグロッキーになってしまって、昼なのに鈍色の雲や空に、もうどうにもならなさを感じる。


車の雪下ろしに時間がかかってしまってちょっとしか時間がなかったけど、お昼はいつものコーヒー屋さんへ。


なぜかあるときを境に、初めのころは普通だったのに、どちらからともなくお互い目を合わせるのが恥ずかしくなって、中学生か、というくらい目が合いそうになると避けるということを繰り返しているイケメンの店員のお兄さんが今日はたまたまいて、また目がひんぱんに合ってしまっては、超露骨に避けるということを何度もやってしまった。


これはいったい、なんなんだろう……。恋?いつから、なにが、どうして、そうなったんだろう……思い出せない。

 

どうしてちょっと目が合うだけでわたしはいちいちおかしくなってしまうようになってしまったんだろう。なぜ普通の人のように、ちゃんと目を合わせられないのだろう?普通の人に話すように話せなくて、きょどってしまっているんだろう?


だけど、世の中には、男性女性にかかわらず、自分がたくさんの人にもてていることを確認することそのものが好きな人もいる。

接客の仕事ならなおさら、ちょっとたぶらかしてリピーターを増やすのは店全体のためにもなるし、

ホストタイプだと、そうやって自分のファンとして貢いでくれる女性を増やして、いずれ独立したときに「俺のお客さん」として持ってきたいという算段もあるかもしれない。


これまでの経験上、わたしはイケメンという人に人たらしをされて悪い思いをしたことは一度もなかった。

イケメンだから人たらしがうまくなるのか、人たらしがたまたまイケメンだったにすぎないのかは分からないけれど、
イケメンという人は、女子を誤解させていると知っていながらも、こちらが楽しく誤解させてくれるくらいに余裕があるし、

自分の魅力を知り尽くしてる(と思える人が多かった)から、その魅力を最大限に生かしてお客さんを楽しませてあげようというサービス精神も旺盛で、

こちらもそのサービスに対して、気持ちよくお金を払えてよかったなあという気持ちが残るから、また来たくなってしまう。

そんなイケジョもいることだろう。


まあ逆に、サービスや接客業で、多かれ少なかれそういう要素を持っていない、むしろ、この人は不潔でなぜか人を不快にさせるなんてお客さんに少しでも印象づけてしまうサービス業の人がいたら、致命的というか、向いてないともいえるだろう。


そんなこんなで、今日はバレンタインデーだからということで、カフェラテをこんなふうにデコったものを、お兄さんが席まで持ってきてくれた。目をそらしながら「今日はバレンタインデーだから、生チョコも一緒にどうぞ」だって。わたしは終始うつむきながら恥ずかしすぎてどう反応していいか分からなくて、またきょどった中学生女子みたいに目をきょろきょろさせてしまった。うひゃー。

 

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おそらくこれは、あなたにだけ特別、という印象を持たせつつ、勘違いした女性ファンを増やすという作戦なのではないか。

 

同時に、あるときを境に目を合わせてそらすという反応をお兄さんがし始めたのは、草食系男子によくある「好き避け」をすることで、肉食系ではない腐女子に対応した新手のマーケティングなのではないかと警戒しながらも、早くもまたそれを確かめたくてまたそのお店に行きたくなってしまっているのでした。

もてあましている

生活リズムがこうやって崩れてきてしまうと、立て直さなきゃなと思いながら、どこをどういうところからやっていったらいいか分からなくて、ずれたままだけど、それが普通になっていくのを指をくわえて見ているところがある。


部屋のお掃除しなきゃと思いながら、だけどまだまだきれいだし、住めるし、

掃除した、って達成感を味わえるほうがきっとお掃除しがいがあるし、そのときまでもうすこし埃をためておこうか、みたいな怠惰なのか趣味なのかどっちなんだという境地になって、今日もたぶん掃除はしなさそうだ。


洗濯はためるのがきらいだから、毎朝している。

だけどこれは、子供の頃からわたしは、学校の宿題の日記や勉強や、夏休みの宿題も毎日計画的にこつこつやるタイプなんだけど、ただ単に、ためてやる苦痛に比べれば、こつこつやる方が楽という、楽なほうを選んでいるという回避的消極的な動機にすぎない。

 

昨晩も、いつになっても眠りがやってこないというか、眠りがどういうものか忘れてしまったりとかする自分に腹が立って死にたくなって、また障害者認定されたときの診断書を読んでしまった。

夜中、死にたくなると、決まってそれを読むようになった。

そこにはわたしはいかに自己中で協調性がないがために生涯にわたって就労不能で、誰とも共同生活を営めないくらい人としてモラルもなにもかもすべてが崩壊していて、

自力で清潔を保つことも公共機関に行くことも、

銀行でお金を下ろすこともできないことになっていて(下ろせるのに)、

社会に出ると人に害を及ぼす危険人物だから一生福祉の中に入っているべきだという医師の文言がことこまかに書かれているのだけど、それを読むとかえって落ち着く。

ああ、わたしなにもできないんだ。社会のクズなんだ。どうせ自己中だから誰ともかかわれないし働けないんだ、って、いまのそのみじめな状況を肯定してくれるような安定剤みたいな役割になる。

 

だけどいつまでも、安定剤はわたしに寄り添ってはくれない。

朝起きたら、激しい怒りがやってくる。今朝の脳内の叫びはこうだ。一人称の叫びから、脳内対話の暴言にまで発展している。


ああ、このままではわたしは腐る。このままでは腐ってしまう。
これは腐っている症状だ。
働かないからこんなふうになる。
制度上無理とはいえ、アルバイトでも働かせてもらうように、次の病院の診察でかけあってもらえるように話してみようか……。でないと、わたしは腐る。
<1時間でも働いたらアウトでしょう?>
こんな全国最低水準の最低賃金で、このわたしが働いてやるって言ってるのに、このわたしがそんな低いレベルの価値のところで働いて、しかもそこに住んでいて、人口がプラス1になってるだけでありがたいと思えという話なのに、アウトとかいうんだったら、普通に働いて、普通に暮らせるくらいのわたしの価値にみあった給与を出せって話じゃないの?まったく知的好奇心も満たせない、たのしい会話もできない、そもそも会話もかみ合わない、つまらない宇宙人みたいなまちの人たちと、レベルを下げて働いてやるって言ってるのに、それだけだって、とても大変なことなのに、このまま働かずにこんな暮らしを続けていたら、わたしは本当に腐ってしまう。いざ本当に働きに出なきゃいけない段がきたときには、もうわたしは腐ってしまって、もうなにもできなくなってしまっている不安がある。
<市には復職支援プログラムがあるだと?>
はぁ?そんなのとっくに知ってるわぼけ。
なんでこのわたしが全国最低水準の最低賃金のような自治体に、働くための準備をさせてくださいってお願いして、ただ働きさせられに鬱やひきこもりの人たちと混じって職業訓練なんて受けなきゃいけないわけ?ばかにしてる?なめてるよね?あんた。このポスターいますぐにやぶってやる。え?入院?じゃあ入院費はらってください。
わたしはね、今すぐにだって、働こうと思えば、そこのファミリーマートとか、ホットモットでだって、どこでも働けるわけ。そこらへんの中年ひきこもりやニートとはわけがちがうわけ。年齢イコール彼氏彼女がいないとかいう童貞とかとはわけがちがうわけ。そういうんじゃないわけ。わたしの価値を見抜けないあんたはクズ。わたしは能力がありすぎて、どこに行っても身にあまってしまうの。世の中がわたしに追いついてこないせいで、わたしはこんな思いを強いられてるわけ。あんたたちとはわけがちがうんだよ。本来だったら逆のはずなのに。
別に、ひきこもりたくて引きこもってるんじゃないの。出る用があればちゃんと起きるし、出る用がないから起きないだけだし、会いたい人がいれば会うけど、そもそもお前ら頭悪すぎて会話にならないから、わたしのほうがコミュニケーションができないって社会の悪認定してるけど、わたしから言わせればわたしとコミュニケーションできるレベルまで引き上げてから出直してこいぼけ、って感じなんだよ、って言いたいわ。あんたたちがくずなせいで、障害者になってやってるけど、本来は逆なんだよ。そういう役を引き受けてやってるんだから、アルバイトしてやるって言ってるんだから、それすらありがたいと思え

 

みたいなことを話してしまうけれど、その叫びを地の文に書き直すとようするに、いまの制度上は訓練目的でも一時間でも働いたら就労してるってことになってアウトになってしまうから、わたしは手も足もでないまま、ずっと病床に伏せっていなければいけないことになっている。だけど現実にはそうはいかない実情はある。


「訓練」と一言でいっても、人にはその人の能力や事情や適性に見合った場所がある。1円でも報酬が発生してしまったら、その1円ですべて暮らせとか、暮らせるかぼけって話で。じゃあ24時間365日病床に臥せってるってことにして、引きこもってゴミクズになってるよ、ってなるわな。


規則的な生活を送ることをよりどころにしていると、それが当たり前にできるようになったとき、社会との接点は、単に買い物をしたり、食べたいものを作ったり、掃除洗濯を楽しんだり、散歩したり、だけじゃなくて、もっと住んでいる地域との接点やつながりを求めたくなる。人はもっともっと先に進みたい生き物だ。
だけどそれは何度もやってみたけれど、どうしてもカルト教団的なインナーサークルのような内に向かう感じになって、お山の大将と、大将を持ち上げてそれにすがる人たちみたいな共依存的な関係性や、狭い地方独特のずぶずぶな関係性にとてもじゃないけど耐えられなくなって、何度となく挑戦したけれど、だめだった。その先にあるのはなれ合いや傷のなめあいで、未来がない。
それで維持されてるコミュニティであるという「底」が、いちおう大義名分的に社会的に意義があると証明されてる大きな組織とかとちがって、しょせん「ごっこ」遊びにすぎず、すぐにはがれて見えてしまう恥の美意識への無防備さもいけない。もうちょっとじらす演出があってもいいのに。

 

主体性が大事で、いかにも主体性が尊重された自由な時代になったように見えて、実際は飽和しすぎた情報の氾濫があって、

主体性を持って自分で選んだつもりになっているけれど、その「主体性」そのものがすでに誰かによって作り出されたものをマインドコントロールされてしょせん選び取らされてるだけみたいな、不気味な様相を呈している。そんなばかばかしい「主体性」なんて、捨てちまえっつーんだよ。なにかまととぶって「ごっこ」してるんだよあほちゃうか。

そんなほんとうの意味での主体性が得にくい時代だからこそ、よりカルトっぽいインナーサークルに真実や救いを求めたくなる人々の気持ちは分かるけど、分かりやすすぎて、どうせだまされて洗脳されるなら、もうちょっと底が見えない、やられた、ってわたしが悔しがれるくらいなカルト教祖と出会ってみたいものだ。

 

ともあれ、そういう自作自演マッチポンプで維持されているものに、嫌悪感を感じてしまうのは、わたしは家族と愛着をうまく結べなかったことに原因があるのかとか考えてしまって、ますます悪い方にしかいかないから、そういうふうに思わせるような場所に行くのは、建設的ではないなあと思う。


だから、なんとなくのなれ合いというあいまいさでつながったものではなくて、社会的にちゃんと目的が果たせるような、営利なり、労働者と使用者なり、教師と生徒なり、ちゃんと契約を結んで、その役割をしっかり果たしながら、それぞれが果たすことで、社会と接点を持ちたい。


そこは、福祉のようなやわらかすぎてやわらかすぎる雲すぎて分からないうえに、「工賃」とかいう「賃金」とはちがった仮想通貨の空間ではないし、復職プログラムといったところで、そもそもどこに復職するのかも、復職、とかそういうのする気はもうまったくないし、とにかくそういうのとはちがう。


だけど、わたしにとってただしい、現実の「社会」と、ひっかかりたいんだ、っていう強い思いがあるということ。これだけは確かだ。
手も足も出ない状況で、腐っていくんじゃないかともんもんとして悪い方に転がっていくのではなくて、ずっとどこでもフォーリナーのようにふるまい続けるのではなく、やっぱりそこに住むなり、そこの組織にいるからこその当事者として、もっと具体的な話をわたしはしたい。


旅人的に一歩引いて、そういう会話をしてかかわった気になっているような生活には飽き飽きしている。毎日旅人的な会話に突き戻されてしまうのはうんざりだ。わたしは、あなたにとっていい客だけじゃないんです。どうしてあなたにお金を払ってサービスを受けて、いい客としてふるまうだけの、そういう役しかやれないんですか?わたしだって、人間なんですよ。あなたの自己愛や救世主妄想だかなんだかしらないけど、そういうのを満たすために、わたしはいるわけではないんですよ。わかってますよね?もう失礼しちゃうわ。


だから、自分のできる、具体的なことを、ここでしたい。そんな気持ちがわいたけれど、手や足を出す方法が分からない。だけどもう、そうやって毎度湧いてきて、出ない手足に気づいて、エンジンを空だきさせて、もんもんとした欲求がくすぶる、みたいのは、もうほんとその繰り返しはうんざりだ。なにかがとても持て余してる。そんなかんじ。

夢いろいろ

寝起きのチャイを飲みながらこれを書く。
今晩も夜中を過ぎても眠りに入ることができなかった。バロック音楽のラジオとかも聞いてみるけど、ますます頭がさえてきてしまうし。けっきょく薬をさらに追加した。ああこうやって、薬がふえて廃人になってしまうのだろうか。
もともと不眠症だったけど、もう取り返しがつかないくらいの、本格的な、がちな、大不眠症になってしまった。眠ることがどういうことか、忘れてしまった、分からなくなってしまった。

 

明け方、夢をたくさん見た。
そこには、祖母と母がいて、家で穏やかな時間を過ごしていた。そこでは、わたしが笑いかければ、彼女たちが笑い返し、その目を見つめれば、相手もその目を見つめ、わたしが悲しい顔をすれば、あなたも悲しい顔をして、あなたも悲しい顔をするから、わたしも悲しくなって瞳の奥をのぞきこむ。うれしそうたのしそう、だったら大好きなのはまちがいない、そんな世界。


誰かが投げかけたことにたいして、そこにいる誰かから反応が返ってくる。それがコミュニケーション、当たり前。

夢ではわたしは、母に、祖母に、言葉を投げかけると、あたりまえのコミュニケーションのキャッチボールが返ってくる。
現実には得られなかった、だけどとても穏やかで、そこに危険はなくて、安心できる時間。だけどそれは、ごくごく当たり前のコミュニケーションで、わたしは別にレベルの高いことを求めているわけでもない。


つい最近まで、もう何年間もずっと毎日のように家族が夢に出てきて、特に母とは、まったくコミュニケーションとれなくて、どちらも折れることができなくて、というか、コミュニケーションが分からない母の土俵にわたしが合わせて一緒になってヒートアップしてきちがいになってしまうことで、夢の中でも毎日罵倒しあってた。その自分の声で目覚めることも多々あった。


だけど最近は、現実ではかなわなかったからか、せめて夢の中では、特に母も、そして祖母も、わたしと意思疎通していて、せめてもう二度と現実では意思疎通できることを彼女たちに求めることはかなわないとあきらめがついたからか、せめて夢の中ではわたしは穏やかな時間を一緒に、わたしは彼女たちと過ごせるようになっていった。

現実には、本来だったら一緒に過ごしたいけれど、できないから、夢の中でするのが精一杯で、現実には会えない無念さを、少しでも軽く感じようとしているのかもしれない。


いずれにしても、つい最近までは、夢の中さえ現実と地続きだったのが、せめて夢のなかでは穏やかに家族と過ごせているのは、せめてもの救いだと思う。だけど、そんなことを誰かに言ったら、あなたはなにも向き合ってないと、家族の絆至上主義者に糾弾されてしまうだろう。

 

そういう穏やかな家族との夢を見ながら、わたしは、小4のときアル中廃人で亡くなった祖父も含めて、家族4人を、

1歳半のときに追い出された父も含めたら、正確には家族5人のことを、
彼女たちは、もういなくなった人のことなんて、自分たちで追い込んで追いやったくせしてけろっと忘れて、いつも自分のことしか考えられなくて、

しかも記憶を次々に自分に都合のいいように改ざんできる天才で、

あの家に残った彼女2人というのは、

わたしとはまったく相容れない、もっとも人間の醜くふてぶてしい塊の、

まるで千と千尋の両親が豚になってしまう冒頭のシーンの、そのまさに豚の象徴みたいな、欲望にまかせて「欲」を食べて、風船のように欲で膨れ上がって言っているような、

ずっとそんなかんじでわたしは彼女たちのことを、いまでも得体のしれない気味の悪いばけもののようにしか、いまとなっては思えない。


それでも、追い出された父、亡くなった祖父も含めて、わたしは最後の最後まで、仲良くなってほしいという思いをあきらめることはなかった。
母は、父のことも大嫌い、祖父のことも大嫌い、祖母のことも大嫌いで、わたしのことも、自分の「お人形ちゃん」であるときは大好きだけど、少しでも一人の人間としての片鱗を出したらそれもまた大嫌い……なそんな母だったけど、

わたしは彼女を変えることはできないとしても、自分ががんばれば、ばらばらになってしまった家族を家族にできるんじゃないかと、最後の最後まで頑張り続けた。


だけど、残った母も祖母も、誰もその思いに答えてくれないばかりか、

気づいてくれないというか、

そんな人としての機微なんてものは、欲深い彼女たちの脳のプログラミングにはもともとなかったようで、

最後に、彼女たちは異星人だったって思うころには、わたしは空虚感とあきらめのような、もう人生終わっちゃったようなお茶の出がらししか残ってないような、子育て空の巣症候群の婦人公論に投稿される手記みたいな60歳代の人くらいの心境に、一気にしてなってしまった。

その間に、仕事の充実や、結婚や、子育てとか、そういうライフステージを送る権利だってあったのに、一気にすっとばして、そんな境地に行っちゃった感じがした。

 

夢の中でのわたしは、穏やかな、というか、人としての最低限のコミュニケーションができる笑顔の彼女たちと、穏やかな時間を3人で過ごしていた。

老人ホームカットの白髪姿だけど、まだ自力で歩ける90歳は過ぎたけどまだ元気な祖母は、長袖のスエットを着て歩いていた。

 

夢を見て、わたしは知る。ああ、わたしは、自分勝手でばらばらでいつも不機嫌じゃなくて、みんなで仲良くしていたかったんだなあ、って。


現実では、大学時代に3人で記念写真を撮ろうとしたら、不機嫌な母にカメラを持った手を振り払われ、自分がいかに不機嫌になっているかをとうとうととかれ、お前も不機嫌にならなければ薄情者だみたいにいつものごとくきちがいに詰め寄られた。

だけど、キハチにランチコースを食べに行く前(それもわたしが企画した)で、3人ともおめかししてなかなか写真を撮るような機会もないから、そうやって提案して、

でも祖母は、いつものごとくわたしと母のもめ事はまったく目に映らないようで、ひとりだけもう写真とられる気まんまんな受け身まぐろ少女みたくなってて、

わたしはむりやりカメラのシャッターを押して、記念写真をいろいろとった。

だけど現像されたその写真は3人とも気持ちがばらばらなのは誰の目にも明らかで、

母は自分の不機嫌で頭がいっぱいなお決まりな自己中な表情、

祖母はぼけーっといつも無責任でにこにこでカメラの前では見栄っ張り欲全開、

わたしはそんな2人の間でいつも気を遣って神経をすり減らしてげっそりしている顔、

そんなちぐはぐな3人の写真が残っている。

家族だったら、それも家族だね、家族らしいね、って肯定できるはずなのに、全然好きになれないその写真。


だけど母は、その写真をいい思い出だと気に入っている。いちばん迷惑をかけて、写真すら拒否した超本人なのに、彼女はそのことすらいつもすぐにけろっと忘れてしまう。記憶が改ざんされて、あら、いい記念写真ねえ、なんて一人で言ってる。

わたしがもうそのころには疲弊して魂も気力もなくなっていることなんて知らずに。

わたしはそうやって母の記憶が改ざんされたころにはいつも、もうそんなもん、どうでもいいよ、って思ってる。

 

写真を見たりすると、そのときの気疲れとか、どんな状況だったかということをわたしは再体験したかのように、いつでも再体験しているかのように、どういう記憶の仕方なのか分からないけれど、正確に、何年たっても、生々しく、まるでその場にいるかのように、わたしは思い出すことができる。

わたしはそのときのピンクのタンクトップを着ていて、すわったソファの生地、さわり心地、蒸し暑い夏の天気……などなど。フラッシュバックは簡単に起こせる。

 

だけど穏やかな時間もつかの間、夢は悪夢の方向へと向かう。

眠れなくて、精神病院の入院の種類(措置入院とか医療保護入院とか任意入院)や精神保健福祉法の手続きについてネットや本でぱらぱら見てたこともあって、

わたしはまさに措置入院されるような、たぶん、どこかのスタジアムでたくさんの人が集まっている場所で、憎きおじさんを2人ほど殺してしまったようだった。

それから逃亡者となって、逃げこんだ集落には母がいて、

母と保健師さんがなぜか、鳥かごに入れた生まれたばかりの赤ん坊を連れてきて、わたしに見せたのだった。


その赤ん坊は、だけど首から上しかなくて、目は大きいけれど、顔の真ん中に1つしかなかった。
わたしは彼女たちに「赤ん坊って、首から上しかないものなの?」とか「その離れた首は、胴体といずれくっつくの?」と聞いた。そしたら彼女たちは、「生まれたばかりの赤ん坊は、首と胴体が離れているものだけど、そのうちくっついてくるのよ」と答えた。

おかしな会話だけど、そうなんだ、とわたしは納得していた。たぶんそれは日中、イスラム国に公開処刑された人の生々しい場面を思い出すことがあったからだろう。


それからわたしは、散歩に出た。山の中の集落だったはずだけど、そこは港町だった。吸い込まれるくらいにきれいな波の音が聞こえた。自転車のペタルをこぐくらい、足がスムーズに進む。

あの曲がり角を曲がったら、海沿いの隣の通りを歩いて、家に戻ってこよう。そう思ったけど、その曲がり角は、じめじめとした暗い神社になっていて、わたしは引き返すことなくずんずんと進んでいった。そこには海沿いの整備されたきれいな道があるはずだったけど、なくて、いたはずの守衛さんも消えていて、崖っぷちになっていて、その崖はぬかるんでいて、登ろうとしても登れそうにないし、登った先に、もうなにがあるのかも分からない。わたしは道に迷ったのだ。


道に迷って不気味な場所をぐるぐる迷路みたいに回り始める夢。

精神状態がとてもよろしくないときに決まって見る夢だ。

やっとうとうと眠れたときには、もう日はのぼっていて、気持ちよくて惰眠をむさぼろうにも、その繰り返しを何ラウンドも味わうくらいなら起きたほうがいいと思って起きた。

げんじつ、へらへら

最後から2番目くらいに祖母に会ったとき、祖母は病院の個室にいて、お見舞いにかけつけたわたしに「おばあちゃま、がんばるから」とわたしに気丈に言った。
気位の高い、プライドが高い、みえっぱりで、善人ぶることを疑わない祖母らしい言葉だった。
だけど、「らしい」なんてわたしは肯定しながらも、意外と単純な人だというのに、わたしにとってそれがとても人間として不気味な、わからない、得体のしれない、祖母だった。

そのときわたしのなかでは、彼女の「らしさ」として、一人の人間としてすべてをまるごと肯定しようという気持ちと、気持ち悪さとがせめぎ合っていて、最後は、と言ってしまったら人の命の長さをあらかじめを決めつけているようで、それは最後までいまでも言えなくて(正確には分からなくて)、

だけど最後がよければなんでもよくなってしまうような、鶏卵よりやや大きいガチョウの卵をなんの説明もなく丸呑みさせられてしまうような気持ち悪さや危機感があって、そんなことは自分にはできないと思ったのを覚えている。


その場所には、横に母がいたけれど、

母と祖母という、1組の母娘がいて、

そして孫のわたしが加われば、女3代で1セットにもなるわけだけど、

3人そろえばもうそういうことだからという空気が気持ち悪くて気持ち悪くて、

そういうの、ずっと、あなた(祖母)もあなた(母)も大嫌いだったんじゃないの?それをわたしにずっと大嫌いなこととして押しつけて、言い聞かせてきて、

あなたとあなたはいつもけんかしてわたしをひとり孤独に恐怖におとしいれていたのに、

それは、あなた(母)があなた(祖母)を憎んでるから、そういうことになっていたからわたしはしょうがない何も言えないとずっとがまんしてきたのに、

最後(?)だからって……

みたいな思いにたぶんわたしはそんなふうになっていて、

当時はそこまで言葉にできなかったけど、

それはそういうことだったんだといま初めて言葉に出してみて、

わたしは涙を流した。

こういうたぐいの涙は、ほんとうは子供のころたくさん流しておけばよかった。

 

だけどあのとき、「おばあちゃま、がんばるから」という90数歳にして健気で気丈な祖母の言葉を聞いて、

わたしは反射的に、「もうがんばらなくていいよ」って心の中でそうつぶやいてた。

だけど、そんな言葉、相手に投げかけられるわけがないから、うそにうそを塗り重ねることしかできなかった。最後の最後まで、わたしはずっと嘘の姿でしかいられなかった。普段は嘘ばっかでへらへらしてるというのに。嘘で嘘を返されても平気なわたしのはずなのに。なんでこんなに苦しいんだろう、ってこの特別な思いの成分や正体について、いまも分からない。それを「特別」と言っていいのかどうかについても、まだ答えがだせないでいる。


そんな無情な自分を責めながら、

それからじわじわ強まって爆発する怒りにわたしは、わけがわからないまま、止まったままの、空虚な時間をもてあましてこれまで年を重ねてきた。

その怒りを紐解くとこうだ。あのときの祖母にたいして湧いたわたしの気持ちを言葉にしてみようと思う。


別にがんばってくれなくていいよ、
それがわたしのためだったら、もっと迷惑だからがんばるのは、わたしが苦しくなるから、迷惑だからやめてほしい、
もうわたしのためにがんばるのだったら、がんばってくれなくてもいい、
わたしはそれでずっと苦しい思いをしていたから
あなたががんばるということは、わたしが苦しむということだから、おたがいもう頑張るのはやめて、そこを解放して、ご破算にしてちゃらになるくらいじゃないと、自己破産と同じでもうわたしは少なくとも、自己破産しなきゃいけないくらいに耐えられないところまできていた、
だけど、あなたや、あなたは、そんなわたしがそうなってることに気づかずに、まだわたしにがんばらせるつもりなの?そうなんだよね?だから相変わらず、がんばるなんていってくるんだよね?そうだよね、そうやってわたしをがんばらせることで苦しめてきたものね。
しかも2人まとめて、自分でがんばることを放棄して、いつもわたしに期待をすることで、自分ががんばったつもりになって自己陶酔しながら、そのときだけは仲良くなって、気持ち悪い仲良し母娘でタッグを組んできて攻撃してきたけど、それは戦い方としても卑怯だし、ずるいね。そういうとこだけで結びついて、大の大人がみっともない。

わたしにだけ戦場に行かせて何度も特攻隊させてるだけで、現場で突撃する人の痛みもわからなくて、戦い方にもダメ出ししてきたよね。ましてや戦う相手のケチまでつけて楽しんでたよね。

 

これまでわたしは、あれからもたくさん泣いた。だけどその涙は、なんで分かってくれないのか、とか、うまく言葉にできなくてくやしいという、自己憐憫の涙だった。わたしはそれで、涙を流したことにして、これだけたくさん泣いたんだからもうくよくよしてもと思っていたけど、

だけど自分で、自分が自分に向き合って、真摯に涙を流してみたことって、あるだろうかと思った。そんな真面目な涙を自ら奪って、忘れたふりをしようとしてはいなかったか。

 

もう、なにが発端でなににわたしはこんなふうに空っぽで、解離しているのかとかよくわからない。

空っぽで解離してるんだから、自分じゃどうも切り開けない状態で時間だけしか解決しない問題なのだから、状況が変わるのを待っていたら、もしかしたら自分のほうが先に死んでしまうかもしれない、明日のことも分からない、

ならば、どうせなら暇つぶしも楽しく、スリリングでありたい……

と思っていたら、暇つぶしも暇つぶしで手間暇かけてしまったり、

暇つぶしのつもりで初めてみたものが、暇つぶしにならなくならなくなるくらい複雑化してきてしまったり、命をすり減らしてしまったり、

むしろ暇をつぶすことがとても楽しく、気づけば暇つぶしのプロみたいになってしまったりもして、
たくさんの暇つぶしという嘘で嘘を塗り重ねてしまった結果、

ほんとうはなにに蓋をしていたのかも、どれが嘘かまことかが分からなくなってしまった。

 

いまさら、もう、これが暇つぶしで、これが真面目でとか、過ぎてしまえばもうどちらでもよくなってしまったし、

あなたは暇つぶしの相手でしたなんて相手に言ったら失礼きわまりないだろうし、

暇つぶしだって、わたしはいつもまじめだったから、にもかかわらず相手に手抜きで暇つぶしされたとしたら、その不誠実さにはこっちが許さない。


分からなくなってみて、最近のわたしは、分からないのに慣れてしまったのか、分からないということをごまかすために、

へらへらとして、わざとそらして、真正面から誰かがまともにぶつかってくることを、とても恐れている。

 

真正面から相手にぶつかり、ぶつかられることが「現実」だというのに、その「現実」がこわい。

「現実」に人が当たり前に持つ気持ちをまるごとぶつけられることが、生々しすぎて、耐えられない。


いま、もう少しで「現実」が見えそうで、「現実」に手が届きそうでいて、届かないのか、届かなくしているひっかかりが、わたしにはあるようだ。
普段接している人のほうが、よっぽど極悪人や憎くて顔も合わせたくない人はごまんごいるというのに、それでもその人とはわたしはちゃんと会えてるというのに、そっちのほうがよっぽど大変なことのはずなのに、家族が受け入れられないって、いったいどういうことなのだろう。

ひどく謎だ。

だけどそれは、自分以外に、その人にとっての家族は、代わりがいないからなのだろう。代役が立てられない。自分役は自分役しかいない。

家族にとっての家族役も、替えがきかない。だから、そんなに責任重大な役をわたしは背負わされて、荷が重すぎるのかなあ。

替えがきく仕事のほうが、かえって頑張れたり、あまり期待されてない仕事のほうが、力を発揮できるとか、そういうことなのかなあ?

いつもわたしはそうやって、人からの直接的を回避して、間接的に、だけど、間接的なくせに間接的ではありえないほど密接に最大限以上に誰よりも愛をほしがった。そんなやつだった。


これは、愛着を感じられる脳機能がおかされた病なのか、それともそういうふうになれば、こういうふうな人になるのは人として当然の反応なのか、どちらなのか分からなくて、わたしはまだまだ、あきらめがつかない。どうすれば、人の気持ちが分かるように、または、思い出せるようになるのか、まだもがいてる。
家族との時間は、そのへんで止まってしまっている。
先生あのね、わたしにはね、止まった時間がいくつかあってね、それはね……って話せたらどんなに楽だろう。時間の管理人がやってきて、じゃあ、君の止まった時間を進めてあげようって、ちょっと槍でずらしてくれたら、って思ったり、それは、自分が救世主になりたいときだけやってくる気まぐれな救世主じゃなくて、そんな人よりもずっと信じられるよ。そらして、そらして、そらしまくって。

ほしがり

イオンモールのスタバにいる。アーユルヴェーダを受けに近くまでやってきたので、今日はちょっと足をのばして、「たぶん買わないだろうショッピング」と散歩をしにイオンモールにやってきた。

お花屋さんでお花をひとつひとつじっくりと見ていた。お花は季節ごとに変わるのもさることながら、色というものが絶妙にかわいい。色を見ていると、きれいだなあと思って和む。植物にしか出せない色の具合とか。

色、ということにおいては、春物のお洋服も、お花っぽい色をしているものには、ついつい目が止まってしまう。

ほんとうは、先日断捨離に断捨離を重ねてかなりクローゼットがすかすかになって、黒っぽい冬物コートがなくなってしまったので、よさげなコートと出会えればという期待もかすかにしていたけど、やっぱりいまはマイナス5度で真冬とはいえ、冬物はもうどこを探してもないよね。

だからか、スタバに座っていても、すれちがう人を見ても、いまはとくに黒っぽいコートを着ている人が、みなすてきなコートを着ているように思えてちらちら見てしまう。

めがねがほしいときはめがねが歩いているように見えて、雪靴がほしいときは雪靴ばかりが歩いているように見えたし、リュックがほしいときはリュックばかりを見て歩いてしまったけど、いまはおしゃれなコートを着ている人を目で追いかけてしまう。決してイケメンだから見ているわけではなくて、わたしはあなたのそのコートを目で追いかけているのです。

そういうのを、「ほしがり」という。ほしがりといえば、今日のアーユルヴェーダのお姉さんは、いつもよりもほしがりな感じだったなあ。

サボテンっていいですよね、って話になったから、

そういえば、先日東京に行ったら、インテリアに映えるようなめっちゃおしゃれなサボテンがたくさんあって、びっくりしたー

へー

だけどぉー、東京のサボテンは完成形のインテリアとしてのおゃれさはぐうの音が出ないけど、それを育てる時間やプロセスの豊かさは、ここでしか味わえないものってありますよね

うんうん

みたいなたわいのない会話をしてたけど、ここは田舎だからあれもないこれもないみたいな話になっていき、よくある展開なんだけど、どうせここは東京とちがって田舎だし、あなたもしょせん東京の人なのねみたいなブロックがかけられちゃった感じがして、わたしもそれ以上なにも言えなくなって、静かに会話をフェードアウトして、お互いもやもや、っとしたものを残しちゃったように思う。

そんなときわたしは悲しい。別にわたしはどこの人かもいまさらよくわからないけれど、勝手にそっち側の人って決められてしまって、やっぱりあなたは遠い人、ちがう世界の人だったのね、って勝手に納得されて、さーっと波が引くように引いていかれる瞬間を地方に転勤とかではなく、ほんとに暮らすようになって、何度となく味わった。

そうやって別世界の人、だとか、よそから来た人、この人は地元じゃない人だから、って決めてしまえば、東京にパイプがある人間を妬まなくてもすむ。向こう側の事情はわたしの知ったこっちゃない。

だけど、そうやってよそもの認定されるときの、さーっと引く感じは、一度そうされちゃうと、こっちもこたえるから、これからはよそものなりの振る舞いをしなきゃいけないのかなあとか思ってしまう。

地方都市でのたたずまいのあるある。うわーこのかんじ。また突き戻されて、体が鉛のように重い。

けっきょくみんな宇宙人だくらいに思ってるのが、やっぱりいちばん楽になる。油断して近づくと、区別される。離れたら離れたで、お花しかお話する人がいなくなる。

自分もいまここにいて、その人もいまここにいると分かっていながら、それだけでもう十分なはずなのに、相手が持っているそこにないものをほしがって……。なんて人はほしがりなんだろうと思う。

お洋服も、いまここで着られるものを売ってくれればいいのに、雪が溶ける2か月後の春のことを考えて買うって、けっこうむつかしいことだと思うけどな?

だけど世の中はほしがりを基準に回っている。ほんとは誰でもいまのことしか考えたくないはずなのに。