緊張ちゃんとゆるみちゃん

ツンデレ隠居系女子の日記/東京→北東北に移住4年目

ピントはずれな怒り2つ

ピントはずれなこと。

 

すでにからめとられている相手が、わたしをからめとっていることすら気づかずに、善意なくらいたちがわるいくらいほど、付き合うには値しないというのに、

そもそもこちらがお金払っているお客で、本来なら相手はサービスの提供者であって、対等なはずなのに、
ただでさえ優位に立っていると誤解していて、
そもそもが勘違いしているというのに、

優位に立ってなきゃ気が済まなくて、

わたしはその相手の状況をくんで、かなえてあげて、合わせてあげているだけでも、自分はそうとう我慢しているのに、
わたしはそういう人だということの弱みにつけこんできて、
初めは謙虚に近づいてきたのにすぐに距離を近づけてわたしに甘えて、

優位だと自分が証明したいがために、賞賛を常に求めてきて、

それはすべて甘えで、甘えているくせに、よりかかっているくせに

ぜったい甘えていると自分ではみじんたりとも認めようとしない。


ちょっとでも思い通りにいかないと、発作的に嫉妬や不機嫌さをぶつけてきて、
いつもこちらをびくびくさせて、気を遣わせて、
それだけで十分相手はクズなんだけど、
なぜかそんなクズに限って、わたしが受けるダメージは強くて、
わたしはダメージにさらされて、
被害にあってるかんじがして、
もう完全にすべてを振り回されちゃってる感に、
頭ではそれは自分で引き受けることでも全然ないと分かっていながら、

振り回されているところに怒りを感じる。


相手のことを、すぐに調子にのって、あったま悪いなーとか思いながら、
そういうことも含めて自分が振り回されてしまっているかんじがして、
どうしたらいいんだろう。


通わなければいいけれど、純粋に通ってるだけだから、それ以上のものをそもそも相手に求めているわけではないけれど、
相手の毎度満たしてよ満たしてよ欲がすごくて、
自分、その欲に圧倒されて、体が自動的に合わせちゃうモードになってしまう。


そんなにそんなにわたしはいつもなにかに満たされたくて通っているわけじゃないのに、いつも気づけば、その人を満たすことに利用されちゃってるなと思いながら、
一緒に楽しんでるふうなていを装ってしまってたりしまっていて、

そういう犠牲によってその人は成り立っているとも言えるし、そういうことにも思いをはせるべきだとは思うのだけど、


そういうことを理性的になれずに気づけないくらい暴走しちゃって平気でできる人というのは、やっぱりすごく病気だなあと思う。
自分が「進んでる」ということが、結局は優位に立って下を作って比べてるということには変わらないということに気づけないのかなあと思うし。そういうところが愚かだと思う。だけど頭悪いから気づかないんだろうな。

 

しかもそういうサービスを提供するという仕事をしていて、その人なりの理論でいくと「下」というものの上に立っていられる立場だから、

たまたま、その人はそういう姿になっているだけであって、

それが崩れたらどんなに人がもろいかということは、その人はまったく知らないみたいだ。仮の姿へのおごり。


しかもそれを、毎回、お客様だとか言い方とかはどうでもいいけど、相手をお客様だと普通以上に恭しく下手に出てへりくだることで何度も優位性を確認しなければすまないくらいに、

病気なくらいそれはあなたは「自然体に成長できた」わけでも、「鎧を脱ぎ捨てられた」わけでもなく、すてきな女性に成長できたわけでもなく、

結局は誰かがいないと自分を満たせない残念な自分であることは変わりないのであって、

愚かさを認めろばかものよと言ってやりたい。


わたしは別にあなたにほめちぎられなくれも、全然平気。ほんとうは自分が満たされたいからほめちぎっているの分かってる。
わたしの持ってるものについてほめたってわたしからは何も出てこないし、
だからわたしは、そのときだけは出てくるそぶりはしているけど、

自分がこの人になにもしてあげられないのも申し訳ないなあと思って本来はしなくてもいいお返しをしてあげたりしているけど、
そもそもいらないものもらっても全然うれしくない。

もういらないものが多すぎて過剰で過剰でどうしようかと思っている。


逆に、その人は、その人が持っているものを褒めると、とてもうれしくて、とてもとても褒めて欲しいんだなというメッセージをわたしは受けていると認識する。そうやって褒めてもらえるとわたしは満たされるんですといちいちアピールしてくれているのだと思うのだけど、
まあ、そこまで言うなら、言葉はタダだしへるもんじゃないしリップサービスくらいならと思うけれど、
ちょっとそれをやると止まらなくなってしまうくらいにその人はよくばりでほしがりで、
きっとそういうものをからっぽの彼女の体は渇望させながら暮らしているのかなあと思ったり
自分の持っているものが、不安なんだなあ
自分の持っている世界が、不安なんだなあ
自分の持ってる友達や知り合いや家族が、不安なんだなあといちいち比べて感じているのだということが伝わってきて、重苦しい気分になって、いまもとても重苦しくて、わたしは彼女を傷つけてしまったんだなあとか、

一方的にほしがってとりに来た相手に対して、こちらがいやな気分になる関係でもそもそもないっていうのは分かってるわけだけど。

むしろ、欲張った分、勝手に自爆して傷ついてろ、って話なのに、わたしは相手だけを地獄に突き落とすことができなくて、

どうしてこうも一緒に地獄に落ちてしまうくらいのやさしさなのか、この気持ちはなんなんだろうと思う。


だけどまあそうやって思えば、そこまで考えられたならば、節度を持って、わたしは向き合えるのではないかなあと思ったり
月1度なんだし
月1度の関係、ってそういうことだよね
しかも客。人対人ではない
いまそのへんの関係が、人間関係のバランスがいびつでおかしくなっているけれど、

いまはおかしい、ってちゃんと自覚しないとなあ。

 

見当違いなことその2

自分の涙。


そういう勘違いして期待を膨らませられてしまった相手に、やっとの思いでノーを伝えるとき、すごくストレスで、涙まで出る。


なぜわたしがいつも泣かなければいけないのか。


泣いてがっかりして、自分の愚かさに胸に手をあてなければいけないのは相手なはずなのに、相手はそんなつもりがまったくなくて、そういうことがあるたびに、寝耳に水だとか、

むしろわたしは都合よく利用できているとすら思っているから、

寝耳に水だと相手にされなかったり、
むしろ逆ギレされたり、説教されたり、

果てはハラスメントをされたり、


なのに自分はわけがわからなくなって泣いてしまって、わけがわからない。
なんの涙なんだろうと思うわけ

人にたいして泣いている
人のために涙を流している

そもそも自分を裏切っている人に、人としての心をそれでも信じて、泣いてしまう


わたしは自分のために、ちゃんと自分を大切にするために、涙を流せていない

 

こんな人のために、わたしがなぜ涙を流さなきゃいけないのか


こんな人ほどクズで、たぶん誰からも大事にされない、誰にとってもクズだから、
わたしがいちいちその人に別れを告げるまでもなく、


誰から見たってクズなのは分かるから、ほおっておけばいいのに、
そんな人に限って関わってしまって、相手にしてしまって
自分はやさしすぎる

 

こんなお城でしかいばれないから、お城でいばっている
その人がいまそうなっているということは、そういうことなのであって

 

ドラマ「君が心に棲み着いた」のシーンじゃないけど、
わたしもほんとに見てくれてる人から言われてみたい
はじめ見たときは正直ひいたけど、だけど、お前、変わったよ、とか
同僚から、少しずつ、よくなってきてるね、とか

 

もう、上だの下だの作って、いつまでもやってる世界にはいたくない
いつも下の役を引き受けてあげて、相手をたてるやさしさなんて、いらない

 

そこから抜けるために、わたしはここまで歩いてきたのだから

 

そういう人たちの手を振り払って、だけど振り払って進むときもひとりだった

 

そういうときには、その人たちは、肝心なときには、いなかったのだから
都合のいいときだけ荒らしにやってきて、恩を売ってひとりだけ気持ちよくなっているだけで

恩の返しが足りないとかなにごとかと思う

初めからいらないから


共通するのは、病的に自己愛が強い、「下」に見る人に与える(実際にはピントはずれだったとしても)ことで満たされていると錯覚できる人たちだった
わたしを悲しませる人、涙させられてしまう人、翻弄されたあげくわたしがいつも病んでしまう人には、驚くくらい共通した点があった

 

ほかの人とのごくごく普通な関係も、すべてを巻き込んで、自分の魅力で、わたしのこれまでのこれまでの人生も、持っているものも、染め上げ、塗り替えようとしてしまう。
この魅力的な自分がいれば、お前にはなにもいらないんだと信じ込ませようとした

それ以外のものに嫉妬するから、わたしは嫉妬させないように、その人のために服従した

 

自分の魅力を真顔で、ましてや初めて会った人にも、そうでない人にも誰にも同じように平気で語れたり、語ろうとする人は、やっぱり病的だと思う

「魅力」は人がどうその人を見るかに任せておけばいい話なのに、はじめから自分のことをこう見ろ、こう扱えとランク付けされたものを差し出し、

お願いしてもいないのに語り出すような人たち

 

それを、お城的な場所だったり、本来の役割とは遠い場所でやってればやってるだけ、さみしい人なんだなあと思う

 

そういうところふくめて自分は付き合ってたつもりなのに、わたしはわたしでその人の弱さを受け止めてきたし、わたしも弱さをさらけだしたし、これからも受け止めたいと思ってきても、

やっぱり耐えられない、もうさよならするしかないときがきて苦渋の決断をして別れを告げる
そんなとき涙が出る。

それはたぶん、いまさら涙を流したところで、そもそも伝わってなかったことが、ここでやっとはっきり最後の最後で分かるからだと思う。 


たぶん、伝わっていれば、わたしならば、ここまでなってしまったら、距離を離さなければいけないと決断して、それが苦しいことだと分かっていたと思うし、

むしろたぶん下手に分かっていたからこそ、
わたしがやさしさで、そのすれすれのところで踏みとどまることで、
ずるずると、苦しんでいく顔を見て、さらに支配している気持ちになれたり、自分がそこで大切にされている、って錯覚を味わえたんだと思う。


こいつは、こういうすれすれのところで、苦しんで、結局人にノーと言えなくて、その罪悪感でもっと自分の思い通りになるんだ、っていうのを知りに知りつくしていたんだと思う。自分が大事にされていると確認することで、愛を満たそうとする人というのは。


そういう人にとって、わたしのことを伝えることは、全然いいことがない。伝えたところで悪用される。

 

ほんとは泣かなくてもいいところで、なにに泣いてしまうんだろうって、


ほんとうは怒らなくてもいいというか、怒るに足るような相手ではないものにたいして、いまだに激しく怒ってしまって、

 

わたしはいつも矛盾している。

 

それ以外の涙は枯れて、
それ以外では、怒ることはあまりなければ、
なにも感じるようなところもない

 

だけど思い出すかのように、発作的に、こういう人たちへの激しい怒りがうわーっと湧いて、激しい怒りとわずかの悲しみがわく以外は、大きな喜びもなくて、空虚だ