緊張ちゃんとゆるみちゃん

ツンデレ隠居系女子の日記/東京→北東北に移住4年目

「殻」はネガティブなの?

「お前は自分の殻に閉じこもってる」とか、「前に進むたには殻を突き破れ」とか、「殻」という存在をネガティブにとらえる風潮がどうもあるようだけど、
わたしにとって、その殻は、その殻の中にいるということは、自分本来の姿に帰れてるときなんじゃないかなと、朝目覚めて、さわり心地のいいお布団のような繭に包まれながら、ふと思った。
これまで、「殻は突き破らなければいけない」ということ、「自分の世界に閉じこもることはよくないこと」だとか、いろいろ言われてきて、言われていることは分かるし、もっともだとも思うのに、そう表面的に反応している自分とは別の心の深く深くの部分が、すごく傷ついてきた。

ただ表面的に中傷や攻撃された、表面的な傷つきとは、まったくちがった種類の、まるで自分そのものを否定されている気がして。


わたしが人にたいして言葉を発するとき、それは、わたしの「殻」を土足でおかしてきた人にたいする、防衛反応というか攻撃で、とげとげしてしまう。そんなためだけに言葉が生まれたわけじゃないのに、そうしなきゃいけないのは悲しいし、そうせざるをえない自分にひどく嫌悪する。

 

これまでわたしは、そんなこと言ったって、もっと広い広い世界に出なければ人としてだめだと思うし、

自分にはあらゆるものが足りなすぎる、

もっといろんなことを人とのかかわり合いを通して、やっぱり殻の外の世界でのかわり合いの中でしか学べないものがあるから、

そのために自分の身がいまよりももっとボコボコの廃車になったとしても、トライアンドエラーを繰り返して生きていくのがやっぱり現実的なんだろうなと、諦めに近いかんじで思ってた。

だからなのか、狭い世界に閉じこもって、閉じられた世界で傷をなめ合う関係しかできない人たちのことを、ものすごい軽蔑の視線を送ってしまっていたし、

あらゆる「障害」に開き直りすぎてしまったり、下品なずぶとさを身につけたりしているこすっからい人にたいしては、

勇気や潔さとはちがう、まるで汚らしいものを見るようないやな気持ちになってしまったりした。

それは、狭かったり広かったりするちがいなの?井の中の蛙や裸の王様や、大の大人のお山の大将ごっこみたいに見えるから、こんなにも気持ちがかき乱されてしまうくらいにもやもやした気持ちになってしまうのか。これまでわからなかった。

 

だけど、その「殻」についての自分なりの新しい意味づけをへて、

別に狭い世界だっていいじゃない、と思った。「世界」の狭さや広さなんじゃない。そこに、自分が大切に丁寧にできる範囲の、そういう人とか、ものとか、世界があるならば。