のりしろ
ここしばらくは、以前のようなひどい不眠に悩まされなくなったけど、昨日はまた全然眠れなくなった。
前回のエントリで、10数年間心に棲み着いていた人のことを書いたけど、
それがそう書けるようになったということは、わたしにとって別の人が心にもうすでに離れないくらいに棲み着いてしまっているからであって、
ほんとうは、いま棲み着いて離れない人のことを考えることが苦しいから、まだ10年モノのその人が心に棲み着いていることにして(もうとっくに離れているからかもしれないし、そうでないのか、正確なところは自分でもわからないのだけど……)、
「いま棲み」の人が頭の中にしめておかしくなるのから、自分で自分を守っているんだ……なんてことを誰かに言っても、わからないだろうな。
そしてさらにどうでもいいことに、「いま棲み」の人だけが頭にしめて苦しいからなのか、傷つくことへの恐れなのか、
わたしは自分の中にある大きな「恐れ」の力によって、万が一傷ついたときのショックを最小限にしようと、分散させようと……
いや、むしろ、なにも傷つかなくて平気なように、
それはまるで、10年モノで棲んでいた人に、「いま棲み」が棲み着くまでののりしろをあらかじめ重ね合わせておいたように、
そういうのりしろを重ね合わせる行為というのを、わたしは同時進行でおこなおうとしている。
それは一見、恐れから逃れる、臆病な行為に思えるし、
そうすることで、罪悪感も感じるし(といっても罪とか言えるような関係性すら何一つ始まってもいないというのに)、
うわあああああああああ、なんてめんどくさいやつなんだって思うけけど、
それは、それは、
そんなめんどうくさいことしちゃうくらいに、
「いま棲み」が気になるからであって、
そのことにほかならなくて、
だけどずっとそんなことを自覚させられて、24時間365日頭の中でいっぱいにさせられるなんて苦しいから、
ただでさえ頭からあふれそうになっているのに、
こぼれおちているのに、
だからせめて……。
眠れないのは、そんな簡単な不眠症ではなくて、
ただただ、
aikoの名曲、もとい迷曲「花火」の冒頭のフレーズ
「眠りにつくかつかないか シーツのなかの瞬間はいつも
あなたのこと 考えてて……」
じゃないけれど、
あなたのことを考えていたために、
ずっと眠りにつくかつかないかのシーツのなかの瞬間でいた……というだけで、
これは簡単に不眠症というものでは片付けられないのであってだな……。
だけどそんなことあなたに言えるわけがないじゃないですか
だけど昨日は、
わたしがさらなるのりしろを作ることで、あなたへの最後の残り火に手を振ろうとしている(←aikoさんの歌詞へのオマージュ)ことなんて知りもしないかのように、
あなたが自分のことを話してくれて、わたしはとてもとてもうれしかった。
自分にもまだ、人を好きになる気持ちがあるということ、
「恋」の瞬間を感じられたこと……
それだけを感じさせてもらえただけでも、
あなたと出会えたのは十分に幸せだったのに、
それだけで舞い上がってしまったわたしは、
片思いだけで十分だったのに
あなたが話してくれたことを、もしかしたら、あなたもいま眠りにつくかつかないかの瞬間に考えてくれているのかなあとか、
まだ全然想像もつかないあなたの日常を思い浮かべ始めてしまって……
あなたはわたしの心に棲み着いてしまった
どうしてくれるんだ、こんにゃろおおおおおおおおおお
人にこんな、のりしろ作成というみみっちい逃避させやがって……
ますますわたしは、わたしを見失ってしまうじゃんかよおおおおおおお
もし、その逃避すらだめだったら(というか逃避という発想であったら、そもそも前提がクズだし、
逃避先にはいい迷惑だし、失礼だし、
そういう言い方しちゃうから失礼なのであって、
逃避にも誠心誠意、その時間はしっかりと向き合う)
わたしはもう、上記の括弧内のことへの激しい自己嫌悪で、
激しく身をこなごなに切り刻んでしまいそうだ。
だけどね、
ご縁なんて、その他もろもろの選択にせよ、
「リスクヘッジ」なんて人はいうけれど、
リスクヘッジしようがしまいが、ヘッジのほうをとったって苦しくもがくなんてざらだし、
ようするに、つながるものはつながるし、切れるものは切れてしまう、
それだけの話よ
だからね、さあこい、なんでもかかってこい、って話でもあるのよ
わたしのロールキャベツのキャベツな部分を、あなたにぐさっとフォークで剥がされたい
そして肉にかぶりついてきてほしい
これまでは、
目の前にいるその人のことしか見たくなかったし、考えたことがなかった。
その人に家があることとか、その人に日常があることとか、
その人が仕事着から着替えて、仕事の顔から別の顔になるなんて考えたくなかったから。
だから、目の前にいる、いまこの瞬間のこの人が、この人のすべてなんだ、って思い込むことで、たもっていた。
だけど、いま棲みの人は、自分にとってこれまでとちがって、不思議な感覚だった。
その人の、目の前に見えていない部分も知りたいし、
もっといろんな表情を見たいし、
どんなふうに日常生活を送っているのかとか、
目の前に見えているときいないときも、どんなことを考えているのかとか、
とにかくいろいろ知りたいのだ。
だけどまたこれで、
アレだったらどうしようという、
もしアレだったら、自分はもう立ち直れないし、
アレへの恐れが、ありすぎて、ありすぎて、ありすぎて、
恐れ、恐れ、恐れ
恐れがなくてもいいように、
ちゃん初めから恐れなくていいように、
そんな安心できる人がいたとして、
いま棲みと、安心できる人と、どちらを……
っていったら、
わたしというこの人は、ぜったいに、それでもいま棲みを選んでしまいそうな自信がある……
なぜなら、棲み着いてしまっているから
だから恐い、って言ってるの
だからのりしろを重ねて、二重にも三重にもして丈夫にしておこうという気持ちになっちゃうの
ようやく安心したいという気持ちにもなってきたのに、
いま棲みがわたしのそれを掻き乱そうとしている。
そんなの反則だよ
だけど、そんなこんななおかげで、もう10年モノなんてものは、
遠くの遠くに追いやられてしまったアンモナイトみたいだね。