緊張ちゃんとゆるみちゃん

ツンデレ隠居系女子の日記/東京→北東北に移住4年目

根付く 根付かない

この寒い地も春めいてきたからか、心の変化からか分からないけれど、

きょうはおうちにお友達が増えて、にぎやかになりました。

 

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ここ最近、サボテン愛が強くなってきて、

生まれ故郷の風を求めたくなるのか、それも分からないけれど、

伊豆のシャボテン公園とか行きたいなあとか思ったりして、

サボテンが自分の中では特にきてる。

 

サボテンは、なぜか本当に元気がないときに、本当に元気をもらえる。

 

作家・吉本ばななさんの「王国」という作品にも、サボテンがとてもたくさん登場するのだけど、

読んでいるだけで魔法のようにどんなお薬を飲んでも解決されない弱った心が、チャージされるから不思議だ。

 

このブログのわたしのハンドルネーム「syabotenn」は、伊豆シャボテン公園は、サボテンじゃなくてシャボテンって言うから、そこからとってる。

 

ちなみに今日新たに加わったお友達は、

サボテンたちのほかには、ガジュマルや、カロライナジャスミンの苗です。

 

カロライナジャスミンはつる性で、ちょうどいまのおうちにはベランダがフラワープランターになっているかわいいおうちなので、黄色い花が咲いて、柵にからまっていくのが楽しみだなあと思う。

 

ほかにも、クレマチスが前から気になっていたけれど、

それは、椎名林檎さんがクレマチスのことを「茎」という曲のなかで「咲いても喜びすぎないから……」と歌っていて、その歌詞のところがとても好きだったんだけど、

ホームセンターで実物が咲いているのを見て、

ほんとに咲いても喜ばなさそうなかんじで、そのままで、

なんかもうそれでいい気がして、カロライナジャスミンだけ買って出てきた。

 

ガジュマルは、沖縄では精霊が宿る樹と言われていて、

なんとなく最近、家に精霊パワーが足りないような気がして、

また、体と心が精霊を求めていた結果、こうなった。

 

だけど、ここしばらく、いろんなホームセンターや花屋をめぐっても、「この子」というガジュマルに出会えずに、しばらくぐずぐずとした日が続いていた。どれもこんな自分以上に生命力が感じられなくて。

 

だけど今日、いろんなガジュマルを回った結果、この子とだったら一緒に暮らしたいという子に出会ったから、引き取ることにした。

 

このおうちに引っ越してきてからも、

何度となく植物を育てては失敗した。

ちなみに昨日は、オレンジ色のリーガスベゴニアの切り戻しをしすぎた結果、丸坊主になってしまって、お別れしたばかりだし、

春を待つ花、福寿草は全滅したっけ。

ローズマリーの苗は、ここの気候に合わないせいか、弱ってしまったり、

失敗は数えたらきりがない。

 

そのたびに、わたしはある種の落ち込みにおちいる。

 

それは、やっぱりわたしは、どこにも根付けないのかなあ……

 

というか、どこにも根付く気がないんじゃないか……

 

根付く?根付かない?そんな自問自答系の独り言だ。

 

失敗するたびに、根を張ることの恐れが自分にはあるのではないかとか、

 

それよりももっと潜在的に、ほんとうは根付きたくないと心が拒否しているのではないかと思ってしまったりする。

 

実は昨日もホームセンターを回って、本来は、お花を買って帰る予定だった。

 

だけど、そう決めていたのに、どうしても食指が動かなくて、鉢を手に取って帰る気持ちにならなかった。

 

そのときわたしはひどく落ち込んだ。

 

もうここに本当はわたしはいたくないんじゃないか……

 

またわたしはどこかに行ってしまうんじゃないか……と

 

そんな奥底の気持ちには、表面的な強い意志でもって「こうしよう」って思っていること以上に、正直に現れてるのかなあ、って思ったり。

 

だけど今日はなぜか気を取り直して、

またなにもかもどうでもいい境地になって、

 

いまは、別に根付いたって、根付かなくたって、いいじゃん、って植物園のようになったおうちを見ながら思った。

 

これからどうなるのかなんて分からないけれど、

明日のことすら分からないけれど、

明日、もうここから去ることにたとえなったとしても、

だけどわたしはいつも、

だからといって、なにかを育むことをやめたことはなかったし、

去ることになってもならなくても、

わたしは、いまのいまという瞬間で、育むものを育んできて、

そういう心持ちでこれまで生きてきたことを思い出した。

 

どうせいなくなっちゃうから、どうせ引っ越してしまうかもしれないからと、

引っ越しに翻弄される人生なんてごめんだ。

 

全国転勤の仕事をしていたとき、わたしの母は、わたしの人生だというのに、

わたしの人生が自分の人生だと思ってた人だったから、

わたしの引っ越しの荷物を、次にすぐまた引っ越しできるように、

それはそれはシステマチックに透明な衣装ケースに、わたしの洋服なり荷物なりを詰め込んだ。

 

それを引き出しに入れたりばらそうとして、

少しでも根付くようなことをすると、

そんなことするのは時間とお金の無駄、どうせまた引っ越すんだから、ということをわたしに気が狂ったように言ってた。

そのたびにわたしは、なんのためにこの人は生きているんだろうと思った。

娘の人生に覆い被さったうえ、そのうえ、次にいつあるか分からない娘の転勤のために、すべての荷物を引っ越しの段ボール詰めを省略するために、透明な衣装ケースに入れる母。

 

わたしは、ホームセンターでプラスチックの透明な衣装ケースを目にするたびに、そんなむなしい人生のことを思い出す。

透明な衣装ケースという存在が、ちょっとしたトラウマの象徴みたくなっている。

 

そういう経緯があるからか、よけい、透明なプラスチック衣装ケースというメタファーに象徴される人生なんて送るまい、引っ越しになんて人生を翻弄されまいと思うようになっていったのだと思う。

 

同時に、根付くこと、根を張ることについて、強い恐れを持っているのだとも思う。

 

だけどいまは、根を張るものを取り入れようが取り入れまいが、

どんなことがこれからおころうとも、

いずれにしても出会ったものは大切に育んでいくことには変わりないし、くらいに思っている。

たとえ明日、去ることになったとしても。

ただそれだけ。

 

だから、新しいお友達も、これまでのお友達も、これからもよろしくお願いしますね。

お水、光をあびて、すくすく一緒に育っていきましょう。

ちょっと光が不足してるだけで、ひょろ長く色が薄く、弱々しくなってしまう彼らの姿を見て、

人間も、光をあびることってほんとうに必要なんだなと、

植物初心者は、そんな初歩的なことから学ばせてもらったりしています。

 

NHKの「趣味の園芸」もまじめに見始めたし、少しずつ、勉強したいし、植物と一緒に成長していきたいのです。 

 

これからは、気が向いたらもしかしたら植物レポートとかもするかもしれないです。

 

ちなみに、今年の目標は、人間ドックを受けること(すでに達成)と、春になったらおうちのフラワープランターを花いっぱいにすることと、歯の定期検診に行くことです。少しずつだけど、着々とすすんでいるよ。

 

「好き」ってなんだろう

子供のころから、家族と一緒にいても一人な感覚を味わってきた。


たとえば、祖母(母は料理ができなかった)の作る料理を横でお手伝いしようとしても、祖母はまるで初めから一人でいるかのように最初から最後まですべて自己完結させて作りあげてしまうのが、とても奇妙で不思議だった。


ここにわたしがいるのに、と何度も思った。


だけど祖母は、まるでそこにわたしがいてもいないかのように、ただ一人の世界に入って、わたしがいてもいなくてもはじめからなんら関係がないかのように、一人で淡々と黙々と、亡霊か人間の姿ををしたロボットのように料理を作るのみだった。


子供だから当然子供らしく「わたしもお手伝いする!」「やらせてぇ〜」と言ってみるわけだけど、祖母は相手が幼児だからといって、「お手伝いなんてえらいねえ。じゃあ教えてあげましょう。まずお肉をこねてね、こうでね、ああでね」なんていうような手加減や配慮はしない。


「やらせて」といえばやらせてくれるが、子供だからうまく包丁を持ったり、肉やだんごをこねたりは最初から器用にできるはずがない。

だけど、祖母は、「やらせて」という孫に対して、30秒くらい「やらせてあげた」ということでもって、やらせたと思っていたようだった。そしてまた一人で黙々と亡霊のように、何事もなかったかのように料理の続きをおこなう。


だけどわたしは、なにもやったという達成感はおろか、それではやったことにも手伝ったことにもなってないと、不満やイライラがたまって、いつもかんしゃくをおこした。そのたびに、かんしゃく持ちで短気なかわいくない子供だと誤ったレッテルでもって憎まれた。
だけど、そんなことばかりが続いて、いつしかわたしはその怒りを自分の中に押し込めるような子供から大人に成長していった。

 

祖母は料理の専門学校で講師をしていたこともあって、料理はとてもうまかった。だからといって、料理そのものを好きで愛していたのかはわたしには伝わらなかったけれど、本人の気持ちはどうだったのだろう。
大正生まれの女性だということもあって、毎日当たり前のように手の込んだ料理を、脳梗塞で寝たきりの祖父、母、わたしという家族に提供した(時代がちがうので、わたしの口に合わないものもあったが、どれも手が込んでいて、とびきりおいしいものも多かった)。


だけど祖母は、それでも横にくっついて離れないわたしに、料理をしながらよくこんなようなことを独り言のように言って聞かせた。「おばあちゃまは、いつも料理を作っているからその間におなかがいっぱいになってしまう。Tちゃん(わたしの名)がずっとつまみぐいをしているようなものよ。だから食事なんておいしくもなんともない」みたいなかんじ。


子供だったわたしは、子供ながらに、それを毎回、いやーな感じにかんじた。いやみったらしなあと思った。ようするに、わたしはあなたがたのために毎日料理を作っているけれど、好きだというよりか、義務だから作っているだけで、あなたがたのために作ることで、わたしは食事なんておいしくないし、犠牲を払ってるのよ……みたいに受け取った。

 

これは祖母と暮らしたエピソードの一部分にすぎないけれど、こんなふうにすべてにおいてわたしは祖母と心を通わせることができなかった。その祖母から生まれたもっと濃い母となれば、わたしと母はもう水と油くらいひどいレベルだった。


それでもたまに、わたしもたまりにたまって、祖母に激しい言葉をぶつけたことがある。だけど、それはのれんに腕押しだった。

「Tちゃん(わたしの名)、おばあちゃまといくつ年が離れてると思ってるの?」。

それがいつも、わたしがなにか祖母に意見したときに返される決まり文句だった。

普段も押し黙っている祖母は、やっと口を開いたかと思えば、それしか言わないのだ。というかそれしか言えなかったのか、よく分からないけれど。まったくコミュニケーションにもなってなければ、返しにもなってない。


わたしは、祖母との感じ方に世代間格差があることを指摘したかったわけではなかった。

むしろ、いつもこう、子供では言葉にはうまく表せなかったけれど、祖母と一緒にいてもいつも自分しか見えていないような、一緒にいるのに、時間を重ねてもなにも愛着もコミュニケーションも深まっていかない不自然な感じとかに、つねにいらいらさせられてて、それはなんなのか分からなくて、あらゆる言葉でぶつけたかったんだと思う。


だけど、それもすべて「Tちゃん、おばあちゃまといくつ年が離れてると思っているの」という勘違いも甚だしい、けんかをうってくるような言葉を繰り返し言われると、子供ながらも、なぜかは言葉には表せないながらも、ああ、こりゃだめだ、という諦めの境地になってくるのだった。

わたしは地域おこし協力隊として2年間、北東北の山間部で移住生活を送った経験があるけれど、祖母のような大正時代の女性ではなくて、昭和生まれの40代や50代とかの女性だけど、祖母と似たようないやみったらしいことを言う女性が多いなあというのを感じた。


ある集落の女性の家の田植えを手伝ったお礼に、近くでとれたてのウドをもらったときのことだ。

わたしは「ありがとうございます。ウド好です。こんなに家で(というか山で)たくさんとれるなんてうらやましいですね」なんていって喜んだのだけど、

それにたいして女性は「ウドなんて大っ嫌い。こんなののどこがおいしいの?だけど、わたしは(気楽なあなたとちがって、とまでは言っていないが……)家族に毎日3食食事を作って食べさせなければいけないし、好きでも嫌いでも、採ったらそれを煮るなりして作って生きていかなければならない。食べるだけの家族はいいけれど、作るほうはもうそれだけでおなかいっぱい、ってかんじになる」と、くたびれたかんじでウドへの恨みから、閉ざされたムラに嫁いだ鬱屈へと発展させて話し始めた。


21世紀になったいまも、男尊女卑をわかりつつ、憎みつつ、だけど受け入れてやってくしかないくたびれた気持ちをいまだにこの町に住む女性は持っているここは文化なんだなあということは分かった。

 

ちなみにそんなこと言われてもらったり、怨恨が込められたウドがおいしいわけなかった。


それはそれとして、やっぱりわたしは、祖母との暮らしで感じたことではないけれど、会話がすれちがうかんじのさみしさだったり、一緒にいても、たとえ田植えを手伝ったり、ともになにかをやったとしても、決定的に交われないようななにかを感じたときの、幼少期からかかえてきたあの懐かしいようななんともいいがたい空虚感でいっぱいになって体がだるく重くなったのを感じた。

それと似たかんじの気持ちになるのは、「好きでやってるだけだから」という人の台詞を聞いたときだ。しかも聞いてもいないのに、そうやって予防線はってアピールしてくるたぐいの人。


よくボランティアだとか、善意の押しつけをめぐる話になるとき、「自分が好きでやっている分には、自覚しているだけたちが悪くない」という話になって、むしろ自覚なき善意のほうがエゴだと言われがちだ。

だけどわたしにとっては、善意と信じ込んでいる人のほうがまだ素直で、「好きでやってる」と言ってる人のほうが傲慢さがあるように思う。


なぜそう感じるのか考えてみたところ、わたしの家系は、アスペルガー自閉症の傾向が強い家系で、わたし自身も当事者でありながら家族として、「一緒にいても一人」という感覚を、いやというほど感じてきたからだと思った。

 

自分が好きでやっていることだから、だれにも迷惑をかけているわけではないと、その手の人はそういう理屈を語りたがる。赤の他人なら、ああそうですか、どうぞご勝手にとなる。だけど、好きでやってるだけだからという人間と身近にかかわる人間が感じる、疎外感だったり、無視されてる感じだったり、締め出されて排除されてる感じだったり、それを横で常に見させられているものの恒常的なストレスや疲弊感や傷つきや無力感がどれほどのものか、その手の人はまったく思いをはせることができない。

 

個人的には、好きでやるのなら、その、関係ない人の見えないところでやってほしいし、巻き込まないでほしいし、家族なんて作らずに、一人で生きればいいじゃんと思う。で、その好きなときに、都合のいい人と、好きなことすればいいじゃん、って思う。だけど人とつながりたいし、一人じゃ寂しいし、パートナーはほしいし、家族にも恵まれたい、でも自分はアスペ自閉症傾向があるから、そういった特性なんですわかってくださいという人に、わたしは一切同情しない。


さいきんは、アスペルガー傾向のある夫を持ったゆえに心身ともに疲弊した妻のことを「カサンドラ妻」と言うようになったり、そういう自閉傾向のある身内をかかえるカサンドラ症候群というのもポピュラーにはなってきている。
カサンドラについて知ったのはここ最近だけど、たぶん生まれながらにわたしはすでにカサンドラにかかってたのかなあと思ったりもする。

 

わたしも、なにかに熱中するときはほんと食事も寝るのもすべて忘れて超集中したり、楽しいときには本当に楽しいくらい夢中になるのだけど、
そんなとき、周囲の人はわたしに「きみの熱中しているときの顔はすてきだ」とか「きみって楽しんでるときの顔がほんとにすてきだね」などと言うのだけど、分かってないなあ、とさみしくなってしまう。


わたしが本当に、熱中しているとき、または、フリではなく、本当に楽しんでいるとき、そこにあなたもいなくなってしまうから。

 

わたしは自分の世界に入ってしまった申し訳なさと、それでも楽しんだり熱中したりすると、あなたすらもいなくなってしまう自分をどう受け止めていいか分からなくて混乱する。わたしだって、自分だけの世界に入ってしまって、さみしいのだよ。この気持ち分かって。でも、あなたには分からないんだよね……。


わたしは、そういうふうなある意味"放置”や“無視”を家族にされて、置き去りにされたときのさみしさをいやなほど知っている。自分も、そういう世界に入っているときに、自分以外をすべて閉め出してしまう、“あの世界”の恐ろしさと嫌悪感を知っている。


だから、そんな台詞をわたしに吐く人は、お気楽な立場なんだと思う。その相手が日々寄り添う人だったら、って考えなくてもすむような。

 

それが家族だったら、きっとそいつも耐えきれないだろうよ、と。一緒にいても一人のような孤独をおまえも感じるだろうよ、と。

 

たまに会うから、そいつはそんなお気楽なことを言えるんだろうよ。わたしの編集された完成品のいいとこだけ見て、そんな君の姿がすてきだなんて寝ぼけたことを言う。


だけどそれがわたしはどれだけ苦しいか。いまも苦しくて、これまでもずっと苦しかったか。


そんな苦しみも分からずに、わたしに赤い靴を履いて踊り続けろと、お前は強要するんだ。

 

いっそ切り落としてしまいたいくらいの苦しさも分からずに、踊り続けなければいけないわたしの日常を知らないから、言えるんだ。

 

ずっとあなたはそばにいないから、暮らしてないから、無責任だから、そんなことが言えるのだ、と。


あんな家族のようには自分はなるまいと思って、わたしは周囲にそれでも気を遣って努力してきた。だけどいまも、楽しかったり熱中してしまうと、周りが見えなくなる、その傾向は変わらないのは、そういう家系や血をひいてきたからなのかなと思うとぞっとする。

変わらないことは分かった。

 

だけど、わたしはそれでも周りの人たちと分かち合うことをあきらめない。

世界を閉ざして見下して、自分たちの世界で閉じ込めてしまった家族が、それからどうなったか残酷なくらい見てきたから。自分はそうなるわけにはいかないのだ。


だけど人は気やすく、「好きなことを仕事にするのはすばらしい」だとか、「好き」だったらなんでも善のようにとらえる。

慈善活動でもなんでも、「自分で好きでやってるだけだから」と「好き」のせいにしておけば、「だから文句言うな」とまるで事前に聞いてもないのにケンカを売ってるような暴力性すらわたしは感じる。


本人にとっての「好き」という善も、無関係な人にとっては善だね、ですむようなことも、身近な人を傷つける暴力性をはらんでることは、わたしは子供のころから痛いほど感じてきた。


「好き」は周りを見えなくさせる。自分の世界だけになってしまう。そんな人同士が集まったらとても恐い世界だと思う。


豊かな人生を築くために「好きなことを見つけましょう」とか「好きなことに熱中しましょう」とかいうことが、最近ことさら言われがちだけど、

いろんな人にとっての「好き」を聞くにつけ、自分にとっての「好き」ってなんなんだろうなとよく考える。


わたしにとっての好きはたくさんあるけど、だけどやっぱりそれは、自分以外の社会(ごくごく少数の誰かはのぞく)につながっていく気はしない。ましてやそれが仕事やお金につながっていくとは思えない。


好きはエゴだって、子供のころに思ってしまったから、わたしは他人の「好き」にも一切タッチしなくなったというのも大きいと思う。それは、自分がアスペだからなのかと悩んだこともあったけど、つきとめるのは無意味だ。


いずれにしても、人とつながるとしたら、苦手なことだったり嫌いなことだったり、そういうことならば常に周りも見えているし、社会との関係も、「好き」なことよりははるかに見えているから、そっちのほうでつながるほうが、よっぽど人の本質に触れられるとは思っている。
ネガティブな傷のなめあいのつながりということではなく。「好き」よりも暴力的でなく安全に人とかかわれる気もする。

 

自分のなかに「好き」はたくさんあるのはたしかだ。だけどこれからも、自分のなかからとっておきの「好き」を取り出して、それを誰かに手渡すのは、わたしの場合、ごくごく限られた人になると思う。

 

だから好きはわたしにとっていつまでも特別な気持ちで、特別なことなんだと思う。

旅のりゆう

詩人の銀色夏生さんのインタビュー記事を読んだからなのかわからないけど、なんとなく、この先自分も、そんなに大きく変わったり、劇的に自分が変わりましたーなんてことはないよなあと思った。


というかそんなこと当たり前で、朝は新しく生まれ変わるなんていっても、昨日は今日の地続きで、ずっと同じ人間が中の人をやってるわけだから、そんなしょっちゅう人が「変わる」なんてことはあるわけないことは分かっていた。


だけど分かっていながら、ひそかに「変わる」ことを期待しているから、劇的な変化をほんとうは誰よりもあさましくのぞんでいるから、わたしという人間はやっかいで、相変わらずもがいてる。

 

だけど、さいきん、戸惑う。

 

これまでの文豪とよばれるたちが、いっしょうけんめい理屈をこねて、最後は吐血したり切腹とかしたりしながらなにかとたたかい、あらがってきて、それが彼らの生きる証であり、難産の末の子供だったり、血と涙の結晶だったり、それが表現としての昇華だったりしたものが、


そして、わたし自身、これまで重くて分厚い鎧を着て、また着せ替えたり忙しくて、だけどいつも肩の力を入れてがんばってきたものが、

 

ある人の(その「ある人」だから、またそのときの自分の状況やこれまでの思いもあって響いたのかもしれないけど)なにげない、ある文脈のなかでわたしに語られたたったひと言、「人って変わらないと思うんですよ」というせりふによって、
これまでの家族との関係のことを含めてうちひしがれてきたわたしの悩みとかが、

その人との出会いによって、そのひと言によって救われたというか、

それにつきることのように思えてきて、

じわじわとだけど、わたしの心は確実に、氷塊していっていることに気づかされて、

 

これまでがんばったことが、これからもがんばろうということでもあって、それそのものが人生で、それがわたしの目標でもあったのに、

これからどうすればいいんだと、ひゅるひゅるとわたしという風船がしぼんでいくような、骨抜きになってあれまあ、というようなそんな感じなのです。

ましてやなんかもう、切腹する必要なんて一切ないですね。

 

それからというもの、その人の脳の回路とわたしの回路は交信されたように(自分で勝手に思いこんでいるだけだけど)なって、プラグがつながれた状態になって、
そういったこともあってか、

その人にたいして、事実を別にそれ以上にも以下にも伝える必要性とか、もともと自分は「事実」を取り扱う仕事をしていたからそれについては慎重なくらい厳しくてアスペだった。


それでも、「事実」を「事実」にこれまでだってちゃんと伝えているつもりでも、

これ以上に淡々とした表現なんてないはずだと思っていたことすらも、

その「事実」だったり「淡々さ」そのものすら、肩の力が入っていたことに気づかされた。

 

事実をさも事実らしく伝えようとか、淡々さをより淡々と受け手がとるように、淡々として語ろうとかいう力みを。


純粋なんてものは完全にあり得ないのは分かっていたけど、より純度が高いと自分が思い込んでいたものを目をこらして見てみると、こんなにもたくさんの不純物が紛れ込んでいたのか、と気づくようなかんじ。

 

そんな心境の変化がここ数ヶ月であって、わたしは戸惑いを感じている。それがいいのか分からない。だけどぐんぐん変わっていく体をどうすることもできない第二次性徴のときのようなかんじ。

 

それは、その人と出会ったのがきっかけなのか、それとも自分にいろんなことがこれまであったことで、その機がたまたま熟すなりはじけるなりしたからなのか、たぶん、そういう複数の要素が重なってそうなったということがいちばん近いと思うのだけど、
そうした凝りが少しとれて、わたしは、これまでずっと会いたいと思っていたけれど会えないと思っていたお世話になったある人に、また会いにいくことができた。会えないと思っていたときのおそれはそこにはなかったというか、消失していた、という言い方がしっくりくるような気がする。

 

「事実」は「事実」であって、人がほんとうの意味ではなにも変わらないということも、これまで頭では分かっていた。同窓会とかで、「変わったよね」と言ったり言われたりする人がたまにいるけれど、そういうものに白々しさを感じていた。


だけど、いい意味でも悪い意味でもなく、ただ目の前の相手にたいして、ジャッジするでもなく、「人って変わらないと思うんですよね」と、その人が自分にたいしてなのか、ひとりごとなのか分からないところで、

だけど、その空間にいる自分もその人に包まれていると思えた瞬間、

頭の中や自分のなかだけでこれまでたたかいながら、そう言い聞かせてきたたこととは、まったくちがう一体感や安心感がそこにはあった。

 

わたしはそれを味わってしまった……。知ってしまった……。

 

これまで本を読むのは、書き手によってそれぞれ行き先はちがっても、そうした自分なりのなんらかのことに気づくための旅を一緒に味わっている気がしたり、似たようなところに悩んだりしてるんだなと気づかされる、支えや友達のような意味合いがあった。

 

だけど、頭の中ではない、リアルに安心感や一体感をそこの部分で感じられてしまったいま、

わたしにとってそこが旅の終着点だったんだなと気づいたとともに、同時に、旅をしていたときはそこがどこに向かうかすら分からなかったから、それを探すために旅をしたいと思っていたというのに、
わたしはもう、旅をする理由が分からなくなってしまった。これからどう進んでいいのか、いま、分からなくなってしまった。

 

これまで、書いても書いても、自分の書いたものはいやになって、すぐに消去してしまうか、最近は「これまでのことはもうすべて忘れちゃった……」「過去のことだし……」というくらい、ほんとうにそこから記憶がすっぽり抜け落ちて、どうでもよくなってしまうのだ。

 

だけど、作家なり、そのほかの人は、自分の手がけたものを、いつまでもまるでそれを自分の子供のように大切にすることができる。一時的にそのことが頭になくても、「過去」を目の前にひっぱり出すことができる。

 

このちがいはなんなんだろうと、ふと、けっこう考える。かなり自分にとって悩みだ。これは自己肯定感が低いからなのか、自分のしたことに常に自信がないからなのか、自分が好きじゃないから、自分が嫌いだからか……などなど。

 

だけどいまは、いくらもっともらしい理由を考えたってしょうがないと思う。たぶんそういうところもわたしは変わらないだろうと思えるから。

 

自分にそう思えるようになってから、家族にたいしての思いも変わった。

 

家族に変わってほしいと、また、自分も変われるはずだと思うと同時に、

それとは相反して、人は変えられないし自分だって変えられるわけないだろう、なにを寝ぼけたことを言ってばーろー、と両極端のことを同時に思っていたころは、

ずっと苦しかったし、自分にも家族にも言い表しようがない後ろめたさもあった。


だけど、まず自分が、いい意味でも悪い意味でも、どうせ変わらないと受け止めることができ始めたとき、こういう人から見たら恩知らずで自己中で付き合い甲斐が一切ない(……もっと言えばきりがないので省略)のがわたしの本性なわけだから、

本性は本性なのであって、

あの人たち(家族)の本性もあのままだろうというあきらめというかっこいいものではなく、そういう受け止めをすることができるようになった。

 

どんなふうに見えようとも、人には本性があって、本性は変えられない。本性が醜いとかきれいとかそういうことを言っているのではない。本性だもの。


ただ、血のつながった人であれ、そうでないにしろ、結果的にはその本性を受け入れられるか受け入れられないか、折り合えるか折り合えないか、という話なのではないかなと思うようになった。

 

そして人は縁のある人とは関係があり、縁のない人とは関係がないというだけのことなんだなあって。はぁ、この先わたしはどんな人になっていくのでしょうね。

言葉の力

久しぶりに作家の高橋源一郎さんがパーソナリティーをするNHKラジオ「すっぴん」を聴いた。
一言一言からにじみ出る源一郎さんのやさしさは、安心する。「言葉の力」を本当に信じているからこそ、それを扱うこわさも、その可能性も両方をまるくつつんでくれているかんじ。


石牟礼道子さんの代表作「苦界浄土 わが水俣病」についての源一郎さんの話もとても興味深かった。

絶望を言葉そのもので絶望的だと伝えるのがドキュメンタリーだとしたら、絶望を美しい、尊いとさえ伝えるのが文学の力なのだと。
そうでもしないと人間はつらくて勝てなかったからかも……という源一郎さんがぼそっというところも、そんななかで自分もたたかってきたから、そんななかで自らも言葉の力を信じてなんとか生きるという絶望のなかを生きようとしてきたからこそ、思うことなのかなあと思う。

 

源一郎さんの言葉はひとつひとつが今の自分にはとてもよりそってぴったりだなあと思う。

これだけ素直に純粋に、安心してコンスタントに言葉に傾けられる人というのは、なかなか源一郎さんくらいしかいないような気もする。

 

最近は、誰もがかんたんに言葉をネットでもぽろっと吐くことができる。

自分は「書く」という世界にいたから、書いたり発信することに関しては、そこは最低限できて当たり前という人たちの中にいたから、同じ情報でも、伝え手によってこんなふうによくも悪くも伝えられることはいやなほど常に見てきたし、

現場に行かずとも、行ってもさらっと見ただけで、また電話で話をちょっと聞いただけで、そこそこ文章力と強引な捏造力すら、それなりの形の文章に仕上がってしまうというところも分かっている。


その人の人間として、中身がたとえ薄っぺらでも、弁だけは異様に立って、ルックスもなかなかだから、しかもそういう人は自分が視聴者からどう見られているかということは徹底的に知り尽くしているから、自分をどうよく見せるかのために、言葉なんてものは演出の二の次どころか三の次で、ころころ変わっていくというのも見た。

 

最近、サクサク読める本はたくさん出てるけど、本というものがつまらない。新聞記事も雑誌も。ジャンクフードやエスニック料理のように、そのときに摂取したいものを簡単に満たしてくれるのようになったけれど、どんどん言葉は「重み」というよりか、「情報」という重くはないライトな記号としての意味合いをはらんでいる。

それが当たり前の時代に生まれたら、そんなもんだと感じるだろうけど、自分はどっちの感じも知っているからか、そうまだうまくは適合できず、悩む。

 

そんななかでも、筆をふるいたい書き手は、いかにも「お上手でしょ?」と言わせんばかりの文章を書いてくる。だけど、そのどれもが小手先で、頭の中でこねくり回しているだけのへりくつごっこで、どれも同じようにわたしには思えてしまう。まあ、上手に書けましたね、がんばりましたね、というかんじで終わってしまって、まるでコンビニの賞味期限切れの食品が毎日大量に廃棄されていくようなむなしさを覚える。

 

ようするに、本人がいちジャーナリストでも肩書きはなんでもいいけど、どう思うかということではなくて、情報の受け手や売りたい相手によって、思想の芯なり、書きっぷりなり、特に「言葉」というものを扱う人というのは、そんなものを言葉によって変えてしまうことは日常茶飯事でお手のもので、
自分も本来はそんな仕事のはずではなかったはずなのに、いつしかそんな会社にとって、発注先にとって、読者にとって、視聴者にとってただただ都合のいい、たまたま「言葉」というものがそれなりに扱えるからというだけで、それを使って都合よく奉仕、サービス、こびを売っているだけの道具のような存在に成り下がってしまっていて、
まあ、せいぜいへりくつの言葉遊びの詭弁が楽しい人にとっては、まだまだ飽きない分野なんだろうけど、わたしとは住む世界がちがったんだろうなあ。


そんな言葉は、そのとき煙のように浮遊して、もう二度と現れることはない。文章がうまくなりたい、とか、ライターになりたいとか考えてる人にとっては、「この人の文章はお上手だな」と言って参考に読むかもしれないけど、たとえ内輪の人間でもそういうふうに読んだ文章が、自分の中に残ったためしなどなにもない。まるでエスニック料理を食べたかのよう。


そんななかで「言葉」というような重みはもはやなくて、言葉ほど人をだましたり喜ばしたりする狡猾な道具だと思う不信感は年々募っていくばかりで、わたしは「言葉の力」などというものが信じられなくなっていった。

 

それでもわたしは、LINEのやりとりレベルでもだけど、へらへらした心にもない薄っぺらい言葉を使う人が大っ嫌いだ。それだけで軽蔑して付き合わなくなってしまったり普通にする。

 

がんばって生きてる人は、どんなに言葉が不器用でも、その言葉には魂が宿っている。それが、その人と出会って話して1分以内でも感じることができる。

だけど、たとえ会ったことない人の文章に触れて、どんなに論理的でお上手な文章で、おもしろおかしくなるほどというオチで書かれている本に出会ったとしても、ああ、この人、リアルにがんばって生きることを放棄しているな、頭の中だけでこねくり回して筆の力に頼っただけだなというのが、これは第六感なのか分からないけれど、わたしにはすぐに分かってしまう。

同じずっと読み続けてる作家さんでも、ああ、彼や彼女はそういう時期なんだなというムラがあって、のちのち発表されたエッセイで事情が明かされて、やっぱりいろいろあったんだなあと分かることがあって、人というのは波もあるしムラもあるし、コンスタントにいかないものだなあというのも分かる。

 

だけど、そんなふうに日々、わたし自身も心のムラがあって、がっかりさせられてあきらめながら、だけどたまに聴く源一郎さんの言葉に接すると、やっぱり言葉の力はある、まだあるんだ、信じていいんだな、とそう心があたたかくなる。

 

今日は震災をテーマにした女性リスナーからのおたよりで「震災が起きたとき、陸前高田にボランティアに行った……いまも交流が続いていて第2のふるさとのようだ……こういうときに、子供に常にいい背中を見せられる親でありたい」という内容がアナウンサーによって読み上げられた。

震災の日がまた近くなってきて、わたしはこういうボランティアをしたという人の話を聞くと、体が鉛のように重くなってしまう。


源一郎さんは、それに対してどうコメントするのかなとわたしは耳をそばだてた。

源一郎さんは、そのことを触れてか触れてないか分からないようなかんじで、その行動がいいとか悪いとかじゃなくて、困難な状況を目の当たりにしたとき、人がそこからどう考えていくかということが大事で、そこから善とか悪とか、そこから自分に欠けたものに気づいてどう道を切り開いていけるか、ということが大事(ざっくり言うとこんなニュアンスのようにわたしには聞こえた)ということを言っていた。

 

わたしは、その言葉を聞いて、救われた思いだった。

 

あのときは、わたしは、震災の被災者や支援者の現状だったり、復興に向けてのそういった「善行」を「そうですねー、善行ですねー」という源一郎さん的な立場ではなくアナウンサー側の人として、どんなものも、どんな複雑な機微や事情があろうとも、すべてを「泣かせ」「善行」「復興」などといったカテゴリーに押し込めて無理矢理塗り替えるような、
言葉を使うプロであるがゆえに、そのスキルがあるために、すべて変換するような、本来そんな変換スキルを身につけるために言葉使いになったわけではないというのに、自傷行為のようなレイプのようなことをしていた。


こんなふうにして変換させられたものになんの意味があるのか、誰が必要とするのかと思った。取り扱う記者本人が、自傷行為でレイプのようなことだと思いながら変換することに、それを与えられた人は、さらに意味がないのではないかと思った。絶望をただただ絶望と伝えること、それはドキュメンタリーの醍醐味だけど、そこまでだな、そこが限界なんだなあという気持ちにもなった。

 

なによりわたしはそのとき初めて気づいたことがある。被災地の彼らも溺れているかもしれない。だけど、わたしはもっともっと前から溺れていて、本当は溺れている自分を救うためにわたしは記者という仕事をしている面があるということに気づいてしまった。
誰かのために役に立ちたいなんていう崇高な大義名分をかかげて、正義感でペンをふるいながら、実は、自分がどうしてこんなんなのか分からなくて自分のことを知りたかった、誰かの救世主ぶることで、実は自分の救世主を誰よりも求めていた。


大きな災害や震災の被災者のように、なにか悲惨なことがあれば、すぐに大きな事件だというだけで救ってくれるような分かりやすいものではなくて、

わたしはあまりに個人的すぎて密室すぎて、マスコミや警察が扱うのには、児童相談所が動くのも成果にもならないし巧妙でグレーゾーンすぎて、だけどわたしを幼少期から青年期にいたるまでじりじりとわたしを蝕み、ダメージを与え続けてきたものについて……


わたしはあのとき、被災者を自分の出来るやり方で、役立てるように動こうと思った。だけど体が動かなかった。
それは震災がきっかけだったのか、これまでたまりにたまったダメージが20代後半になって、体も心ももう限界と、そうなっていった時期だったのかもしれない。重なったのかもしれないし、震災がその引き金になったのか、早めたのかは分からない。


そのとき初めて小さい頃のわたしが出てきた。小さい頃のわたしは、こう言った。というよりも叫び、泣きわめいていた。「だれも大人はあのときのわたしを誰一人助けてくれなかったじゃない」「わたしが困って、本当に助けを求めているとき、何度も助けを求めて、というか助けを求めることすら知らなかったわたしを、大人はなにもわたしに目をくれさえもしなかった。相変わらず、自分たちが一番大変で被害者であるかのように、自分だけが助かろうと、大変だ大変だとわめいて自分たちの利益を考えている」「もうわたしは誰も助けたくない」


その小さな子供の叫びを聞いたとき、わたしはまず、わたし自身でもあるこの小さな子供の叫びにわたし自身が耳を傾けなければいけないと思った。


世の中は震災で、属していた当時の報道機関も未曾有の震災にてんやわんやでパニックだったけど、だれもがそれしか見えていなかったけど、わたしには周りがどう世の中を見ていようが関係ないことに気づいた。

というか、今回は未曾有のことが起きたからとても分かりやすかったけど、だけど大きくても小さくても、わたしはいつもこの人たちとは見えているものはちがって、ちがう世界を生きていて、だけどわたしはわたしの世界にずっと生きていて、ちゃんと見えているものはあって、わたしという存在はまったく変わっていなかった。

いまはそんなふうに整理している。


あのときは、こんなときすら「記者」としてもとめられている風に動けなくて、切れない包丁が意味がないように、記者として失格だと思って、もうおしまいだなと思った。向いてないんだろうと。ならば、切れない包丁は捨て去ってしまおうと。誰にとってもそんなもの包丁としても意味がないから、と。


あのときわたしは、わたしがずっと溺れていたことに気づいた。それが浅瀬だったのか深い場所だったのかは分からない。だけどわたしは、誰かの手をつかんで助けを求めるのではなく、溺れた自分をまずは救わなければと決意した。


同時に、人にも手を差し伸べるべきではないと思った。本当は自力で立ち上がれる人の力を奪って、溺れ続けてしまうこともあると思った。

 

また、これまで溺れ続けてきて、周りはきっと、ああ、こんな浅瀬で溺れているみっともないやつがいると傍観したり素通りしたり、見下したりきっとたくさんわたしはされてきたことだろう。
だけどわたしは、彼らに助けを求めたことは一度もない。同情なんてされたくなかった。だから、わたしも、同情はしまい。そう決意した。

それまでに、震災から5年以上の時間がかかっていたけど。これが、わたしにとっての震災だ。

 

「震災」について、先のボランティアの話とかもそうだし、あの日を忘れない的な報道を目にすると、あのとき「自分の中の震災」と「世の中としての震災」というあまりにかみ合わない両立しえないものの間でもがいて自分を責め続けていた状況がよみがえる。


だけど、今日の源一郎さんの言葉で、わたしは「わたしの震災」としてたしかにあのときそこに存在していたのだと、堂々と胸を張ってそう思って、生きていけばいいんじゃないかという気持ちにさせられた。


源一郎さんのいうように、大事なことは、具体的にそこで行ったことが善か悪かではなく、そこから足りない自分に気づいて、どう自らが再起していくかということ。悲惨なことも、ひとつのきっかけにすぎない。それは震災だけではなく、あらゆることにも通じる。


わたしはあのとき、自らがこれまでずっと溺れ続けていたことに気づいた。それから溺れた自分を救うような道のりを、記者として、メディア人としては道にはずれてしまったけれど、だけど、わたしも、絶望を絶望と見るのはつらかったから、人は弱くて絶望には勝てないから、その間に出会った「言葉の力」によって、苦界を浄土にすることで、たたかって、いまここまで生きていくことができた。そして、気づけば溺れてなくて、いまひとりで、ここに立っている。

 

「言葉の力」というものが、あまりにもどこにもあふれすぎていて、消化しきれなくて、信じられなくなってしまうことのほうが、普通に生きているといまは圧倒的に多いけど、だけどまだ「言葉の力」は残っているんだと信じたい。

自分もやっぱり、言葉の力を信じて、そして救われてきたから。

 

いつかわたしも、源一郎さんのように、醜さも無意味さも可能性も内包された、聴いている誰もを包み込む、言葉の力を諦めてしまった人が、やっぱり言葉の力だと思えるような、また自分自身をやっぱりそう思わせてくれるような、そんな作品を作りたい。絶望を絶望だと思うには耐えきれなくて、だけど色鮮やかにたたかおうとするやさしい人たちへ。

「記者」と「当事者」の間

今日から3月かー。2月、なんとなく長かったな。しんどかったな。

 

ここ最近もあいかわらず、好きな詩や連続ドラマとか本を読んでる。
ドラマとか見てるっていうと、頭悪いミーハーと思われるかもしれないけど、わたしはミーハー的興味というよりかは、人の気持ちを知ることにとても興味がある。


机に向かって、専門の本を読んだり、大学院とかに入り直してなにかの学問を研究するとかそういうことは、想像するだけでも疲れてしまうけれど、
いろいろなやり方をやってみて、そのなかでも自分の得意なやり方を見つけていって、好きなことを極めるのが、性にあっているようだ。

一見、勉強していないように見えて、それがどんな問題集やどんな有名大学の有名教授のすばらしい講義を受けるよりも、自分にとって効果的だ。

 

あと、物語を映像で見るいいところは、人の気持ちや表情もそうだし、自分の知らない世界に住んでる人が、純粋にどんな場所でどんな組織で働いていたり、どんな人間関係が繰り広げられているのかというのを、映像を通すことでイマジネーションをかきたてられるのも好きだし、
その組織や人間関係にいると、人はどんな気持ちになったり悩みが出てくるのかとか、わかるととてもおもしろい。

 

以前わたしは、映画監督や脚本家や小説家とか、もの書きというものを目指してたけど、いまでは、それはたんに肩書きの問題であって、自分のやりたいこととか興味とかとはかみ合わない話であって、

肩書きの話ではない、もっと自分の特性に合わせたやり方や学び方を考えなきゃなあと思うようにいまはなった。いまはそんなところ。


実際、なんらかのテーマを取材して記事にしたり、自らレポートしてブラウン管を通して発信するという仕事や、編集にもこれまで10数年たずさわっていたけれど、

そういう「記者」とか「編集者」とかいうものも、肩書きの問題であって、

わたしにとって、それそのものがやれたからうれしいというのとはちがって……。だけど、記者という仕事について誇りや使命感を思っている人に、そんな悩みを話すのもはばかられるし、実際話がかみ合わなかった。

それじゃない、もっとちがうなにかを自分は求めているんだけど、それはなんなのかな、とずっと思ってきた。

 

昔からなにもかも、人から教えられるものがよく理解できなくて、教科書も読めなくて、というか入ってこなくて、

だけど、自分なりに編み出したインプット方法を見いだすと、とたんにそれが吸収できるようになって、

だけど、その変換作業を行なうのにものすごくエネルギーと時間を要した。

これまでわたしはなにかを誰かに直接教わったという記憶はあまりなくて、独学でインプットしてきたかんじだった。

 

そんなこんなもあって、わたしは人と同じペースでなにかをやるとかいうことを、子供のうちから完全に諦めてしまっていて、そんなこんななこともあったので、

家庭を持つようになったら、それに合わせて仕事はまた考えればいいや、だから適当でいいや、なんて思うようにもなってしまったけど、

たぶんそれじゃ後悔するのではないかと、数々の連ドラを見ながら思うようになった。そして、絶対に退屈してしまう。そういうライフスタイルの変化があってもなくても、ワークについては、しっかり考えていきたいなあと思った。

 

いま考えているのは、植物にたずさわるなんらかの仕事をしながら、または、児童福祉系の現場で働きながら、そこで見える世界、感じるもの、悩むものは、いやでも出てくるから、それそのものを味わいながら、また生きていきたいなあと思っている。

 

こんなふうにキャリアアップしていきたいとか、○○家を目指したい、○○のプロになりたい、だからそれを目指すというよりか、結果的にそれを専門で極めたにしても、その道のりを味わいたいなあと思う。

わたしには、その味わいの楽しみが不可欠で、

これまでの経験上、どんなにお金をたくさんもらって待遇に恵まれていても、社会的地位があっても、

また、それとは一転、まったく地位や肩書きお金にとらわれない仕事をしてみても、

プロセスの味わいの楽しみがなかったり、

生活するためだけのお金に精一杯になってしまったりしたとき、

死んでるも同然なつらさは耐えられないことだった。

ああもうこんなんじゃ死んでるほうがましだと思って、毎日死にたくなった。人から見てどうとかではほんとになくて。

そういう経験を通して見えてきた自分の適性を、反省も踏まえてこれからよりよいものに生かしていきたいと思う。

 

わたしは常に「現場」に身を置いていたいのだと思う。


いまは働くことができなくて、手も足も出ない状況で、こうして頭でしか考えられないけれど、
これがほんとうに内向的な人だったら、頭の中の空想をフルに働かせられて、創作にはもってこいな機会だと思うけど、わたしにはそれだけでもつらいということもわかった。


隠居してたら里が恋しくなるくらいにわたしは普通の人だったことが分かったし、

頭の中だけの空想だけにたよって生きるのはバランス感覚が失われて心もとないことも分かった。

 

いまの隠居ステージは、そういうステージに一生に一度は身を置いてみたいという興味だし、

常に現場に身を置いていたいという点においても、隠居という「現場」に身を置いているということに充実感を感じているのであって、

隠居という立場になってみないと感じられない世の中の見え方や、さみしさというものを知りたいという気持ちが強くて、

ただ、それを一生味わいたいかといえば、もっといろんなステージを年齢に応じてじゃんじゃん楽しみたいなあと思う。

 

ということで、そろそろ次のステージに向けても、考え始めた今日このごろ。

いまはほんとうに「ひとり」だから、次は、人や社会とまたかかわっていこうという気持ちになっている。

 

だけど、あんまり自分の思うにまかせて書くものは、人に向けてというものではない。世の中の「書き手」がそうであるように、誰かに読んでもらおうとか、人に捧げようとか、楽しんでもらおうとか、ホスピタリティ精神がまったくないと自分でも思う。それはいつも気がかりに思っている。

 

でもそれは、わたし自身、そんなにものを他人に読んでもらうために書くという適性がもともとなかったのかなあとも思ったりする。
もともとそんな観点は自分の中に持ち合わせてないのに、無理矢理もしかしたらこれまで世の中の基準に合わせてきて、そういう偽ストーリーテラーを装っていた偽善者だけだったのかなと思ったりもする。

 

これから誰かに読んでもらいたい文章なんて、わたしに書けるのだろうか。

 

それと相反するけど、いまは自分の人生を生きること、まずはそれを一生懸命やりたい。そこで出会った人との関係を大切にしたい。

 

だって、「そこ」に身を置いているのは、いま、ここにいるわたしなわけだし、まずはそこを味わわずして、しらない誰かに向けて文章を届けることが、いま、ここにいながらにしてそれは両立できることなのかと、ひどく悩んでしまう。昔からだけど。

 

記者の現場ルポとか読んでいても、自分もそこに身を置いていたときは、あんなルポが将来書けたらかっこいいなあとかあこがれたものだけど、
そこからなにも関係ない立場に自分がなってみたら、そんなに限られた数時間なり数日なり、その現場に「密着」したということにして、記者という肩書きだけでそんな器用に当事者と記者を同時進行で行き来できるのかなと思うようになったし、

突き詰めていくと、当事者にまさるものがこの世にあるのかと疑問に思ってしまったし、

記者がなぜ当事者にならないのかも疑問だったし、

記者という肩書きを捨てて当事者にだってなる選択肢はあるのに、なぜ記者という人たちは、記者という立場をそんなにも守りたがるのかとか、

自分にとってはさっぱりわけが分からないことだらけだった。


そんな疑問を持つのは、普通はあまりないことだというのが分かってきたころ、わたしは「記者」をしたいというよりも「当事者」を生きるというほうにもとはといえば興味がそこからあったんだなと、改めて気づかされた。


「記者」として無理くり入るくらいなら、別にそういう意味では失うものはなにもないから、じゃあなんらかの当事者になるよ、ってかんじでもあった。

 

ずっと前話題になった、精神科病棟に記者がまぎれこんで入院したルポも、当時はとてもああいうのにあこがれたけど、

気づけば自分はそんなふうに無理くり潜入取材なんてしなくても、長い人生、いろいろあって、わたしは望まなくてもそこに入ってその現場を当事者として知ることは余裕にできた。同時に、ルポ精神科病棟の自分の中の価値が、ないに等しくなってしまった。

 

だけどわたしは、それを閉鎖病棟生活をルポとして、誰かに発信したいとは思えなかった。
それはたぶん、わたしが当事者よりの人間で、「当事者」を精一杯生きているから、だろう。当事者を生きていればそれで十分、と思えるからだろう。


「記者」という自覚を持ったことはあまりなかったのかもしれない。「記者」としての能力というよりも、自分がアイデンティティとして「記者である」と感じたり肯定したりする素質がなかったのかもしれない。
「当事者」であることに加えて、「記者である」という要素も自分の中に加われば、たぶんそれを世に知らしめたい、という欲求がわいてくるような気がする。

 

だけど少なくともいまは、あえて、たぶん、記者としての自分を消し去っているように思う。消し去って、これまでおざなりにしていた、考えないようにしてきた「当事者」と向き合うことで、まずは当事者として精一杯生きていくことで、それから自分がどうなっていくのか、そんなこと自分でも分からないからこそ、それを当事者として見つめていくことが、まずは楽しみでもある。

自閉症だったわたしへ

昨夜、ドナ・ウィリアムズの「自閉症だったわたしへ」の3巻を読み終えた。


正直な感想、これはもう、ついていけないと思った。自閉症の世界に、というか、彼女の世界に、ついていけないと思った。

 

自閉症だったわたしへ」は、わたしが彼女と同じ「高機能自閉症」だと診断された10数年前に、あなたと似た人がいるから読んでみるといいと主治医からすすめられて手に取ったのがきっかけだった。

 

いま、時間があることもあって、あの当時出会ったいろいろな本を手に取ったりして過ごしている。「自閉症だったわたしへ」も、当時のわたしにもっともインパクトを与えた作品の一つだった。

 

同時に、あれから10数年たったいま、いまわたしがこうやって読み返すということは、どういう意味があるかというと、

自閉症であるとかないとか、そういう世界からは卒業しかかっているのをなんとなく感じ取ってるから、こうやって手に取って読みたいと思っているのではないかとも思う。

 

わたし自身、わかっている。

もうたぶん、「あの世界」にはわたしは二度と戻らないということを。

 

それでも、これまでは、「あの世界」を失いたくないという気持ちが、どういうわけか強かった。
だけどいまは、手放してもいいというか、どうでもいい境地になった。
失うことへの感傷もなにもない。

 

幼少期から恋愛、結婚までを彼女自身が全3巻にわたって描いた「自閉症だったわたしへ」の1巻は、いまも読んでもすてきな文章だなあと思う。

だけど2巻はだんだんついていけなくなって、

3巻は完全についていけなくなる。

 

結婚相手となるイアンとの、これまでのようにひとりぼっちではない、「わたしたち」という「ユニット」を組んで、彼女は「世の中」というものに挑むわけだけど、

正直、読んでて、鼻持ちならない気分になった。

 

なんてあつかましい、「わたしたち」という迷惑な「ユニット」なんだろう、と。圧力団体なのか、と。

しかも、「わたしたち」なんて言っておきながら、結婚相手のイアンは、そこにいるけどいないも同然で、

相変わらずドナは相手のことを見ているようで、自分のことしか見えてないし、自分と相変わらずたたかってて、

相変わらずドナは一人芝居をしているだけで、読んでて痛かった。

ああ、ここまで行っちゃったのかあ……あちゃーと思った。

 

こんなものを書くことに、なんの意味があるのかと怒りを感じた。

 

彼女はこの本を書いて、幸せになったか。

 

わたしは彼女の人生が、決して幸せだとは思わない。

 

彼女が誰にも見せるためではなく、自分のために書き上げた1巻は、まだよかった。彼女が「書く」という行為をおこなうことによって、彼女が彼女自身を理解する助けにもなったし、

読者や自閉症関係者にとって、そうした内的世界を持った人間がいるというという意味でも、方々の国で翻訳、出版されたというのは、彼女、読者、双方にとってとても意義があることだと思った。

 

だけど、2巻、3巻にいくにつれ、

わたしは彼女は1巻でやめておけばいいと思うような歯がゆさと怒りを感じながら読むようになった。

 

彼女は、そのままでいけばよかったのになあと思った。だけど、「世の中」はそれだけじゃ許さなかった。1巻で表現したような「自分の世界」を大切にする生き方を、世の中的な絶対的価値観である「成長」への期待を彼女に暗に託すことによって、壊そうとした。

自分の世界を大事にすることと、自分の世界を壊して成長することとは、まったくちがうのに。

 

1巻が世界の何カ国語にも翻訳出版されたことで、日本でもそれを原作にしたテレビドラマ「君が教えてくれたこと」が放映されたりして、ちょっとしたブームになったのは、わたしも覚えている。中学生か高校生くらいの頃だったか。

 

あれから、彼女のもとには世界中の読者や関係者から手紙が寄せられたり、講演の依頼を受けたりして、自閉症への理解に彼女はライフワークとして尽力するようになっていった。

彼女だからこそ、同じ自閉症の人たちを「同士」などと呼び、また自閉症関係者にたいしても必死で期待に応えようとした。だけどわたしには、それによって、彼女は彼女だけの世界を失って、身を滅ぼしていく行為のように思えてならなかった。あれだけ鋭い目で周囲の思惑を観察できていたにもかかわらず。


彼女はそれらを、自分の中だけの世界から、殻をつきやぶって、「世の中」に出る行為だと表現もしていた。
それは、この山から、知らないあの山に飛び立つようなことだとも、たしか言っていた。

だけど、わたしは彼女があえて「あの山」に行く必要なんてあったのだろうかとも思う。

 

仮にわたしが彼女だとして(彼女は昨年、病気をほったらかしにしたために亡くなった)、

もし2度目に生き直すことができたとしたら、

「この山」にいる自らを破壊して、「あの山」に飛び立つのではなくて、

自分の世界を大切にしながら、あの山ともうまくやっていきたいなあと思うだろう。

 

わたしにとって「自閉症だったわたしへ」は、「自閉症」というものにとらわれすぎて、

自閉症である「わたし」や「自我」にとらわれたまま生きてしまった結果、

人はこんなふうな哀れな末路をたどることを、

ドナが身を削ってわれわれに示してくれた本として、

とても価値がある、そういう意義がある本だと思う。

 

最近よく聞かれるようになった「発達障害」というものが、なにが障害かといえば、

こんなふうに仕事上、迷惑がかかる人で、こんなふうな配慮が必要ですみたいに「外から目線」では言われているけれど、
ドナと同じ当事者のわたしからしてみれば、これほどまでに、「わたし」や「自我」にいつまでもとらわれ続けている点で、異常というか、人とはちがって、そこが病だと思っている。


こんなふうな表現で言われているテキストをわたしは一度も見たことないし、

そんなふうに病院で扱われた事例もきいたことないけれど……。


ただ、「自分」というものに、これでもかというくらいしつこくとらわれている、あえてどこが普通の人とちがうかと聞かれれば、そこにつきる。
それ以外は、ごくごく普通の人間だと思う。

 

自閉症だったわたしへ」の1巻は、そんななかで、ドナの「内から目線」を書いた美しい物語だったのに、

2巻、3巻といくにつて、「世界でも珍しいまさに当事者から語られた本」みたいにすばらしいもの扱いされてしまったがために、

彼女は「当事者」としてあまりにも当事者目線を必要としている人にこたえすぎてしまったように思う。


そこのバランスが分からなくなってしまったのは、彼女が「わたし」にとらわれる病であるゆえの弱点のようにわたしには映った。

 

2巻、3巻にいくにつれ、彼女は「世の中」ととけこんで果敢にチャレンジしていく展開にはなっていってるけれど、

それとは裏腹に文章はもう、彼女の世界にどんどんこもっていって、

これは「自閉症の世界」というよりかは、「彼女の世界」であって、

彼女が「自分の世界」から「世の中」を目指そうとするほど矛盾して、

ますますそれは自分の世界にこもっていることになって、世の中と隔絶される結果になるという悲劇だともいえる。

1巻のように、自閉症であってもなくても、琴線にふれるような彼女の言葉を、もうだれも理解することができなくなってしまうなんて、なんて皮肉なんだと思う。

 

彼女はただ、自閉症であろうがなかろうが、「最果てを見たい」と願う人と重なる思いを持っていたのだと思う。

最果てを見たいとねがえば、その最果てにたどり着きそうになると、また別の最果てが見たくなる、そういう人生を送りたかっただけなのではないかと思う。

本当に彼女のことを、自閉症の当事者としてではなく、一人の人間としてみてくれる人がいたならば、もっと人生をトータルで見られたのではないかと思えてならない。

 

自閉症だったわたしへ」の3巻は主にイアンという青年との結婚生活について書かれているけれど、結局最後は別れる。

 

エピローグで彼女は「お互いが別々の道に進んでしまった」というような記述をしていたけれど、わたしは人の言う、「別れた」とか「わたしたち」という言葉は、信用しない。

とくに、自閉症だと自己を表現する人のそういう言葉は信じない。だって、そういう自分の世界をもって生きている人なんだもの。最後まで交わりあうことなんてない。それでも、一緒にいたい、分かち合いたいと思うからチャレンジするわけであって、

失敗したのならそれは事実だけど、「わたしたち」は「別れた」とか、なに甘美なパウダーシュガーをまぶしちゃってるの?それを双方向ゆえの結論だと思っちゃってるとしたら、世の中ではそれを、傲慢と言う。


「初めから彼とは別々の人だった」と彼女は最後にそう気づいたと言っているけれど、

そうだよ、もともと別々の人だったし、

あなたが会う人会う人「自分と似ている」と勝手に重ねていると思っているにすぎなかったよね。


自閉症であるないに限らず、人は究極的には、誰かと本当の意味で交わり合うなんてことはできない。「わたしたち」になんてなれない。
そういう、人として生きることの切なさ、絶望をかみしめる人間が彼女のそばに一人でもいたら、彼女はこんなに自閉症や自我にとらわれることなく、もっと普通に生きられたのではと思えてならない。

 

わたしは当時の主治医から「あなたの見えている世界や感性にそっくりな人がいる」とこの本を勧められたとき、自閉症の当事者でない人というのは、知らないがゆえに、あまりに神聖視していることに危機感も覚えていた。そんな美化に自分自身もひたって、埋もれてしまうのではと抵抗はあったが、1冊の本としてこの本と向き合うことにした。


自分とたしかにそっくりで似ていた。だけど、これは、わたしではなくて、彼女が書いた本だ。

さらに、これは、自閉症であることとは一切関係なく、ただただ彼女の世界だ、と当事者のわたしは思った。

 

先日、彼女はいまどうしてるのかなあとふと気になってググってみたら、昨年くらいにドナ・ウィリアムズは亡くなったという海外の訃報記事を見つけた。

出版当時は日本でも話題にもなったのに、訃報を日本のメディアで取り上げた社はどこにもなかったように思う。

 

ドナは50数歳という若さで亡くなったように記憶している。

晩年は、体がボロボロになってしまったそうだ。そりゃそうだろと思ったけれど。新しいパートナーの献身的な介護のもと、亡くなっていったとか。

 

わたしは「自閉症だったわたしへ」を読みながら、自閉症であることや自我にとらわれるよりも、自分の体をネグレクトせずに大事にすることのほうが、

自分が自閉症だからこんなにネグレクトしてしまうという「理解」を周囲に求めて、感覚過敏や鈍麻について書いてる時間よりも、ずっとずっと大切だと思った。


その、本当かどうかわからない風の便りのような訃報記事を読みながら、

わたしは、彼女は、ほんとうに最後の最後まで、

自分にとらわれたまま死んでいった人だったのだなと思った。

もったいないなと思った。おいおいと心の底で悔やんだ。まるで自分のことであったかのように。

 

あれだけ世界各国でもてはやされた「自閉症だったわたしへ」とは裏腹に、

ひっそりと彼女がこの世を去っていったことに気にかけた人は、どれだけいるだろうか。

 

クイーンのフレディ・マーキュリーが亡くなったとき、うろ覚えだけど、Y新聞では、海外の人だというのにベタ記事ではなくて段を立ててたような。

メディアの扱う訃報記事は、いい意味でも悪い意味でも、その人の価値ともいえる。

価値がない死なんてないし、命に大きいも小さいもないけれど、

でも、そんな価値がない価値観のためにがんばった結果、そんな価値の扱いを最後に受けたことを彼女が知ったら、彼女は自分の人生をどう思うだろう。それでもその道を歩んでいただろうか。結果的に同じようなぼろぼろな体になったとしても。彼女に聞きたい。

 

わたしにとって「自閉症だったわたしへ」は、彼女が「わたし」にとらわれたまま生きた結果、こんなふうに人はなるということを身をもって示してくれた作品だといえる。身をもって、彼女は「世の中」の犠牲になってくれた人だとわたしは思う。だからあの作品を読んだ人が、二度と「世の中」なんかの犠牲にならないように、

少なくともわたしは、あなたのおかげで、あなたのような人生は歩まずに、あなたが生きられなかった人生を生きたいと思います。ありがとう。

のりしろ

ここしばらくは、以前のようなひどい不眠に悩まされなくなったけど、昨日はまた全然眠れなくなった。

 

前回のエントリで、10数年間心に棲み着いていた人のことを書いたけど、

それがそう書けるようになったということは、わたしにとって別の人が心にもうすでに離れないくらいに棲み着いてしまっているからであって、

 

ほんとうは、いま棲み着いて離れない人のことを考えることが苦しいから、まだ10年モノのその人が心に棲み着いていることにして(もうとっくに離れているからかもしれないし、そうでないのか、正確なところは自分でもわからないのだけど……)、

「いま棲み」の人が頭の中にしめておかしくなるのから、自分で自分を守っているんだ……なんてことを誰かに言っても、わからないだろうな。

 

そしてさらにどうでもいいことに、「いま棲み」の人だけが頭にしめて苦しいからなのか、傷つくことへの恐れなのか、

わたしは自分の中にある大きな「恐れ」の力によって、万が一傷ついたときのショックを最小限にしようと、分散させようと……

いや、むしろ、なにも傷つかなくて平気なように、

それはまるで、10年モノで棲んでいた人に、「いま棲み」が棲み着くまでののりしろをあらかじめ重ね合わせておいたように、

そういうのりしろを重ね合わせる行為というのを、わたしは同時進行でおこなおうとしている。

 

それは一見、恐れから逃れる、臆病な行為に思えるし、

そうすることで、罪悪感も感じるし(といっても罪とか言えるような関係性すら何一つ始まってもいないというのに)、

うわあああああああああ、なんてめんどくさいやつなんだって思うけけど、

 

それは、それは、

そんなめんどうくさいことしちゃうくらいに、

「いま棲み」が気になるからであって、

そのことにほかならなくて、

 

だけどずっとそんなことを自覚させられて、24時間365日頭の中でいっぱいにさせられるなんて苦しいから、

ただでさえ頭からあふれそうになっているのに、

こぼれおちているのに、

だからせめて……。

 

眠れないのは、そんな簡単な不眠症ではなくて、

ただただ、

aikoの名曲、もとい迷曲「花火」の冒頭のフレーズ

「眠りにつくかつかないか シーツのなかの瞬間はいつも

あなたのこと 考えてて……」

じゃないけれど、

 

あなたのことを考えていたために、

ずっと眠りにつくかつかないかのシーツのなかの瞬間でいた……というだけで、

これは簡単に不眠症というものでは片付けられないのであってだな……。

 

だけどそんなことあなたに言えるわけがないじゃないですか

 

だけど昨日は、

わたしがさらなるのりしろを作ることで、あなたへの最後の残り火に手を振ろうとしている(←aikoさんの歌詞へのオマージュ)ことなんて知りもしないかのように、

あなたが自分のことを話してくれて、わたしはとてもとてもうれしかった。

 

自分にもまだ、人を好きになる気持ちがあるということ、

「恋」の瞬間を感じられたこと……

それだけを感じさせてもらえただけでも、

あなたと出会えたのは十分に幸せだったのに、

それだけで舞い上がってしまったわたしは、

片思いだけで十分だったのに

 

あなたが話してくれたことを、もしかしたら、あなたもいま眠りにつくかつかないかの瞬間に考えてくれているのかなあとか、

まだ全然想像もつかないあなたの日常を思い浮かべ始めてしまって……

 

あなたはわたしの心に棲み着いてしまった

どうしてくれるんだ、こんにゃろおおおおおおおおおお

 

人にこんな、のりしろ作成というみみっちい逃避させやがって……

ますますわたしは、わたしを見失ってしまうじゃんかよおおおおおおお

 

もし、その逃避すらだめだったら(というか逃避という発想であったら、そもそも前提がクズだし、

逃避先にはいい迷惑だし、失礼だし、

そういう言い方しちゃうから失礼なのであって、

逃避にも誠心誠意、その時間はしっかりと向き合う)

わたしはもう、上記の括弧内のことへの激しい自己嫌悪で、

激しく身をこなごなに切り刻んでしまいそうだ。

 

だけどね、

ご縁なんて、その他もろもろの選択にせよ、

リスクヘッジ」なんて人はいうけれど、

リスクヘッジしようがしまいが、ヘッジのほうをとったって苦しくもがくなんてざらだし、

ようするに、つながるものはつながるし、切れるものは切れてしまう、

それだけの話よ

 

だからね、さあこい、なんでもかかってこい、って話でもあるのよ

 

わたしのロールキャベツのキャベツな部分を、あなたにぐさっとフォークで剥がされたい

そして肉にかぶりついてきてほしい

 

これまでは、

目の前にいるその人のことしか見たくなかったし、考えたことがなかった。

その人に家があることとか、その人に日常があることとか、

その人が仕事着から着替えて、仕事の顔から別の顔になるなんて考えたくなかったから。

 

だから、目の前にいる、いまこの瞬間のこの人が、この人のすべてなんだ、って思い込むことで、たもっていた。

 

だけど、いま棲みの人は、自分にとってこれまでとちがって、不思議な感覚だった。

その人の、目の前に見えていない部分も知りたいし、

もっといろんな表情を見たいし、

どんなふうに日常生活を送っているのかとか、

目の前に見えているときいないときも、どんなことを考えているのかとか、

とにかくいろいろ知りたいのだ。

 

だけどまたこれで、

アレだったらどうしようという、

もしアレだったら、自分はもう立ち直れないし、

アレへの恐れが、ありすぎて、ありすぎて、ありすぎて、

恐れ、恐れ、恐れ

 

恐れがなくてもいいように、

ちゃん初めから恐れなくていいように、

そんな安心できる人がいたとして、

いま棲みと、安心できる人と、どちらを……

っていったら、

わたしというこの人は、ぜったいに、それでもいま棲みを選んでしまいそうな自信がある……

 

なぜなら、棲み着いてしまっているから

 

だから恐い、って言ってるの

だからのりしろを重ねて、二重にも三重にもして丈夫にしておこうという気持ちになっちゃうの

 

ようやく安心したいという気持ちにもなってきたのに、

いま棲みがわたしのそれを掻き乱そうとしている。

そんなの反則だよ

だけど、そんなこんななおかげで、もう10年モノなんてものは、

遠くの遠くに追いやられてしまったアンモナイトみたいだね。